博多藤平 はかたとうへい
生没年未詳。
明治16年(1883)8月15日の雨乞づとめをつとめた人々のなかに、博多藤平の名がある(『稿本天理教教祖伝』260頁)。
また初代真柱の「教祖様御伝」に、「三軒屋藤平」の名がでている。
さらにその一週間後の8月22日に河内国刑部村で再度雨乞づとめがつとめられた。
このときにおぢばから出かけた人々のなかに
も「博多」の名が見られ(『稿本天理教教祖伝』265頁)、「教祖様御伝」でも「博多藤平」とでている。
高野友治『天理教伝道史・第1巻』に「博多兄弟」と称して博多市次郎・藤次郎についての記述がみられ(67-71頁)、当然、かかわりがあろうと思われるが、よくわからない。