理とは何か?
天理教では、「理」という言葉を非常に多く使います。
根本的には、
- 親神様の思召し
- 親神様のお働き
- 親神様のご守護
などの意味です。
天理教のようぼくは、
「このことにはこういうい理がある」
「このようになってきたのは、このような理がある」
と言います。
一切の親神様の思召しを悟ろうとするには、形・物・現象の世界の奥にある「理」にふれていかなければなりません。
また、
「理を立てる」
「理立てする」
という言葉もよく使われますが、これは、人間思案を先に立てず、親神様の思召しを先に立てるということです。
この精神を失ったときに、御本部をはじめとする、上級教会などに対して、封建的な意味合いになってしまいます。
そして、「理立て」とは、教会に金銭のお供えをすることを言いますが、これも、親神様の思召しを立てていくという本質から、たまたまそれが「金銭」という一つの形に現れたに過ぎないのであって、その精神を見失ってはいけません。
そして、この「理」という言葉は、感情に対する理性といういうような相対的な意味ではなく、天理教でいう「理」とは、もっと絶対的な、親神様の暖かいご守護や親心をあらわしているのです。
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