よろづいさい

みかぐらうたのよろづよ八首の中に

このたびはかみがおもてへあらハれて なにかいさいをときゝかす (よろづよ八首 3)
きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを (よろづよ八首 6)
かみがでゝなにかいさいをとっくならバ せかい一れついさむなり (よろづよ八首 7)

と仰せ下されています。

いさい=委細、或いは いさい=一切 と悟れます。

親神様は、ない人間ない世界をお創め下された、元の神、実の神様です。

したがって、よろづいさいを説くことができるのはもちろんのことであります。

立教の以前までは、真実の親がおもてに現れなることがなかったので、親神様の思召し、「よろづいさい」について知ることができませんでした。

天保9年10月26日、いんねんある教祖の身体を神の社として、親神様がじきじきにお現れになり、よろづいさいをお説き下さいました。
しかも教祖は、口で説かれるだけでなく、身をもって行いに示し、ひながたの道をお教え下さいました。

よろづいさいをお説き下さるのは、単なる博識を意味するのではなく、よろづいさいのもとと示されているように、人間世界創造の根源を示し、それによって世界の心を勇ませ、陽気ぐらし世界の実現をさせようとの思召しからなのです。