なるほどの理

なるほどの理 とは?

みななるほどの理がわかれども、日々の理がわからねばどうもならん/\/\、親の話、親さんの話やとたのしました、成程の理がわかりても、日々の理がわからにや、なんどきに何程のいでがくえるやら、つぶれるやらこれしれん (明治22・4・17)

とありますように、親神様のお話を、「なるほど」とうなずいても、日々それを実行し、「なるほどの理」をつくっていかなければなりません。

まことほどつよいものはない、まことは天の理である、まことあれば、それ
せかいなるほどといふ (明治21・6・1)

まことの心の理がなるほどといふ理である (明治21・11・11)

なるほどの理は八方といふ (明治27・2・14)

と仰せ下さっているように、教祖のひながたにならい、おたすけにはげみ、口と心と行いを常に一致して、うまずたゆまず理を見つめて進むのがまことの心の理です。

まことの理は、人の目から見れば弱いように思われますが、これほど堅く強いものはなく、これこそ親神様に受け取っていただく理であり、世界中の人々が「なるほど」とうなずいて下さる理なのであります。

私たちは「なるほどの理」をつくり、「なるほどの人」にならなければならないのです。