諭達第二号 教祖百二十年祭

立教百六十九年一月二十六日、教祖百二十年祭を勤めるに先立ち、思うところを述べて、全教が仕切って成人の心を定め、実動するよすがとしたい。

成人とはをやの思いに近づく歩みである。をやの思いは、陽気ぐらしを楽しみにこの世人間をお創り下された元初まりの思召に始まり、世界一れつをたすけるために天降られた立教の元一日に続く。

以来、月日のやしろとお定まり下された教祖は、五十年の長きにわたり、よろづ委細の元の理を明かし、つとめを教え、たすけ一条の道の次第を整えられるとともに、ひながたの親として、身を以て道の子の通り方を示し、ひたすら子供の成人をお促し下された。

なおその上に、子供可愛い故、定命を縮めて現身を隠されて後も、広くさづけの理を渡し、存命のお働きを以て、今も変わることなく私たちをお導き下されている。

まさに、

にちへにをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる

おふでさき

と仰せ下さるところである。

この果てしない親心にお応えする道は、人をたすける心の涵養と実践を措いて無い。

いかに文明が進歩しようとも、病む人は絶えず、悩みの種は尽きない。心が救われることはない。それは元を知らぬからである。人間生活の目指すべきところを知らぬからである。

いまゝでにないたすけをばするからハ もとをしらさん事にをいてわ

おふでさき

と仰せられるように、元を教えてたすけることこそ、この道のたすけの神髄である。

確かな拠り所を持たぬが故に、我欲に走り、安逸に流れがちな人々に、心の定規を提示し、元なるをやの思いをにをいがけることは、よふぼくに委ねられた使命である。先ずは、自らが教えに基づく生き方を日々実行し、身近な人達に信仰の喜びを伝えることが肝要である。

身上に苦しみ、事情に悩む人のおたすけに真実を尽くすことこそ、よふぼくの何よりの任務である。私達の周りにも、多くのたすけを必要とする人がいる。周囲に心を配り、機を逃さぬ親身のおたすけを心掛けたい。

「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かる」

おかきさげ

との御教示を胸に、常々に人だすけを念じ、心掛け、一れつ相和す陽気づくめの世の実現を期して、弛むことなく世界たすけの歩みを進めよう。

また、一人ひとりが誠の心で通るところ、内々は自ずと睦まじく治まり、世の人々にも成程の理が映るとお諭し下さる。親神様の限りなき御守護に感謝し、与えを喜び、成程の人として土地所に陽気ぐらしの種を蒔こう。

世の中が目まぐるしく移り変わる中で、人々の価値観は揺らぎ、心の絆が失われゆく今日、なおさらに世相に流されることなく、教祖のひながたを目標として、変わることなき誠の道を踏み行い、世に映してゆかねばならない。

この道を歩むお互いが、心の向きを揃え、挙ってたすけ一条に邁進して、「今からたすけするのやで」と、やしろの扉を開いて、世界ろくぢに踏み均しに出られた教祖の大いなるお心にお応えしたい。

教祖の年祭を成人の節目として、真実を集め、力を尽くされた先人達の足跡の上に、更なる実を積み重ねるべく、全教が勇んで立ち上がり、一手一つに勤め切ることを切望する。

              立教百六十五年十月二十六日  真柱 中 山  善 司