天理教人名辞典 松村さく まつむらさく

松村さく まつむらさく

松村さくは、弘化3年(1846)12月29日、大和国平群郡平等寺村の小東政吉の長女として生まれ、元治元年(1864)2月22日に松村栄治郎と結婚、長男吉太郎をはじめ、4男3女の母となる。

さくは、松村家入信のきっかけとなり、土台となった人である。

明治2年(1869)、教祖(おやさま)の長男秀司と結婚したまつゑは、さくの妹にあたる。

まつゑ入嫁のさいには、さくも姉として同行した。

松村家の人がおぢばがえりをしたのは、これが最初であった。

その翌年の秋ごろから、さくは「たちやまい」の病気を患い、医師の治療の見込みもたたない状態となり、明治4年正月10日、生家の中東家で養生の上、おぢばへお願いに帰って来た。

さくは、一年ごしの患いのため、髪の毛はよもぎのように乱れ、しかも、風がわいていた。

教祖は、いろいろと有難い話を聞かせて下さり、さくの頭髪にわいた風を取りながら、髪を棟いておやりになった。

そして、風呂を沸かして、垢の付いたさくの身体を奇麗にお洗い下された。

教祖のこの手厚い看護により、さくの病気は、3日目には、嘘のように全快したという(『稿本天理教教祖伝逸話篇』32頁)。

教祖のこの不思議なおたすけに、さくはもちろん、夫の栄治郎も大いに感動し、夫婦そろって信仰の道に入った。

さくは、その翌年の8月、平等寺村の実家への薮入りの折りにおぢばへ帰り、以後、毎年の薮入りには、欠かさずおぢばへ帰っていたが、いつしかおぢば帰りが主になって、多いときは20日も30日も滞在し、教祖の膝下で親しく教えを頂いた。

明治15年(1882)6月18日、教祖は、さくが痛風症で悩んでいると聞かれて、

「姉さんの障りなら、私が見舞いに行こう。」

と仰せになり、3日間松村栄治郎宅に滞在なされて、さくを手厚くお世話下さった。

さくは、3日目におぢばへ帰り、半月余りですっきり全快の御守護を頂いた(『稿本天理教教祖伝逸話篇』175-176頁)。

教祖は、さくに向かってしばしば

「子供の手が離れたら、べったりこちらへ来てもらう」

と仰せられていた。

この言葉は実現して、明治26年12月から引き続いて教祖殿で奉仕することとなった。

昭和3年(1928)11月28日、83歳で出直した。