天理教単語帳 三年千日とは?

三年千日とは?

天理教では、年祭に近づくにつれて「三年千日」という言葉がよく使われます。

この三年千日は、原典・おさしづの中で次のように使われています。

口にいはれん、筆に書きつくせん道を通りてきた、なれども千年も二千年も通りたのやない、わづか五十年、五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れといへばいこまい、二十年も十年も通れといふのやない、まあ十年の中の三つや、三日の間の道を通ればよいのや、わづか千日の道を通れといふのや、千日の道がむつかしいのや、ひながたの道より道ないで、なにほどせいたとていそいだとていかせんで、ひながたの道より道ないで 

明治22年11月7日刻限おさしづ

教祖は五十年間、「ひながたの道」をお通り下さいました。

このひながたの道を人間にも通るようお促し下されています。

しかし親神様は、親が五十年通ったから子どもにも五十年通らねばならないとは仰いません。

十年・二十年という期間でもなく、ほんの三年千日間通ったら良いとお教え下されています

おさしづにはさらに

三年千日のしんぼう、三年しんぼうの道通れば誰に遠慮きがねはない 

明治22年11月17日のおさしづ

とも仰せられています。

このように、しっかりと教祖ひながたの道を歩ませて頂こうと、天理教では三年千日という言葉が合い言葉のように使われているのです。