第一章 おやさま 天理教教典


「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世 界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けたい。」

とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の 言葉である。

家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、 一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。

時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。

よろつよのせかい一れつみはらせど
むねのハかりたものハないから   一  1

おふでさき

そのはづやといてきかした事ハない
なにもしらんがむりでないそや   一  2

おふでさき

このたびハ神がをもていあらハれて
なにかいさいをといてきかする   一  3

おふでさき

世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。

それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。

親神は、これをあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸のうちを、いさい説き聽かされる。

いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日や   一二 67

おふでさき

しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている    一二 68

おふでさき

教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。

しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、 日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑 きものと笑い、或は気の違つた人と罵つた。

かかる人々に、親神の教を納得させるのは、並大抵なことでなかつたとはいえ、教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めない。

されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々 の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導かれた。

教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。

更に、 親神が教祖をやしろとして、じきじき表に現れている証拠として、よろ づたすけの道あけであるをびや許しをはじめとし、親神の守護を、数々、 目のあたりに示して、疑い深い人々の心を啓かれた。

更に、教祖は、

このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ    一 21

おふでさき

せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ   一 22

おふでさき

なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする   一 23

おふでさき

とて、親神の思召を伝えられ、

だん/\とふてにしらしてあるほどに
はやく心にさとりとるよふ   四 72

おふでさき

と、後々繰り返し繰り返し思案させるよう、心を配られた。

この事は、 後日、

これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。            (明治三七・八・二三)

おさしづ

と仰せになつたように、おふでさきは、耳に聽くだけでは、とかく忘れがちになり易い人々の上を思い、筆に誌して知らされた親神の教である。

そして、何人にも親しみ易く、覚え易いようにと、歌によせてものされたばかりでなく、屡々、譬喩を用いて理を説かれたのも、深い親神の思召をうなずき易く、理解し易いように、との親心からである。

即ち、

このさきハみちにたとへてはなしする
どこの事ともさらにゆハんで   一 46

おふでさき

やまさかやいばらぐろふもがけみちも
つるぎのなかもとふりぬけたら   一 47

おふでさき

まだみへるひのなかもありふちなかも
それをこしたらほそいみちあり   一 48

おふでさき

と、神一条の道を進む者の道すがらを、山坂や、茨の畔などにたとえて、この道は、一時はいかに難渋なものであろうとも、一すじに親神にもた れて通り切るならば、段々、道は開けて、細道となり、遂には、たのも しい往還道に出られると、希望と楽しみとを与えて、励まされた。

そして、自ら真先にかかる中を勇んで通り、陽気ぐらしのひながたを示された。

又、人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁つているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心 は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた。

そして、 我が身勝手の心遣いを、埃にたとえては、親神をほおきとして、心得違いのほこりを、絶えず掃除するようにと諭された。

更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人達を、しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々 の役割を示すなど、人々が容易に理解して、早く心の成人をするように と心を尽された。

このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教え ると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、初め、親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、成人に 応じ、言葉をかえて仕込まれた。

即ち、神というては、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神 などと、言葉をそえて親神の理を明かし、或は、

たすけでもをかみきとふでいくてなし
うかがいたてゝいくでなけれど   三 45

おふでさき

と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、 この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護し ている真実の神であると教えられた。

次いで、親神を月日と称え、目のあたり天に仰ぐあの月日こそ、親神 の天にての姿であると眼に示して教え、世界を隈なく照し、温みと潤いとを以て、夜となく昼となく、万物を育てる守護を説き聽かせて、一層の親しみと恵とを感じさせるよう導かれた。

それと共に、

いまゝでも月日のやしろしいかりと
もろてあれどもいづみいたなり   六 59

おふでさき

このあかいきものをなんとをもている
なかに月日がこもりいるそや    六 63

おふでさき

とて、赤衣を召されたのも、教祖が月日のやしろにおわす真実を、眼に 示して納得させようとの思召からである。

ここに、月日親神に対する信仰と、月日のやしろたる教祖への敬慕の心とが、次第に一つとなり、教祖の言葉こそ親神の声である、との信念を堅めるようになされた。

更に又、

いまゝでハ月日とゆうてといたれど
もふけふからハなまいかゑるで   一四 29

おふでさき

とて、それから後は、をやという言葉で、親神を表し、

にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる   一四 35

おふでさき

と仰せられた。

人間の我が子を慈しみ育てる親心によせて、親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親であると教えられた。

そして、一 層切実に、親神への親しみの情を与えると共に、月日のやしろたる教祖 こそ、まことに一れつ人間の親である、との信頼と喜悦の心を、たかめるように導かれた。

このように、明かに、鮮かに、親神を信じることが出来るよう導かれ たのであるが、なお、胸のわからぬ人々の心ない反対や、世間からのと め立てが絶えず、それ故に、ふりかかる教祖の御苦労を思うては、時としてはためらい、時としてはまどう者もあつた。

教祖は、これをもどかしく思い、ざんねん、りつぷくなどの言葉で厳しく急き込む半面、

こらほどにさねんつもりてあるけれど
心しだいにみなたすけるで   一五 16

おふでさき

いかほどにさねんつもりてあるとても
ふんばりきりてはたらきをする    一五 17

おふでさき

などと、温かい親心を宣べて、常に、子供達の心の成人の上に、心を配られた。

かくて、教祖は、口に、筆に、又、ひながたによつて、種々と手を尽し、心を配つて教え導き、陽気ぐらしへのたすけ一条の道をはじめられた。

更に、深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里ぢばに名附け、又、一れつのたすけを急き込む上から、姿をかくして、 存命のまま、恆に、元のやしきに留り、扉を開いて、日夜をわかたず守護され、一れつ子供の上に、尽きぬ親心をそそがれている。

まことに、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召 を知る。教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親にてあらせられる。

にんけんをはじめたしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや   八 37

おふでさき