井筒たね いづつたね
慶応2年、父梅治郎29歳の時、和歌山県周参見村湯川清五郎の娘とよと結婚。
明治12年2月28日、井筒家入信のきっかけとなる長女たねが生まれる。
生後間もない長女たねが、百いぼの病という臀部に身上となる。
子に恵まれず、やっとの思いでできた子が身上であるため、梅治郎夫妻の心痛は一通りではなかったとみられる。
当時、井筒家の左隣に中川文吉という人があり、そこには「種市」こと前田藤助が出入りしていた。
そこで、文吉が隣家の井筒家に種市を紹介し、種市の熱心なおたすけによって御守護を頂く。
これが井筒家の入信のキッカケとなった。時に明治12年7月30日のことである。
天理教教祖伝逸話篇 全文(1話~200話まで)明治13年4月14日、井筒夫妻は娘のたねの身上の上から、たねを伴って初めておぢばへ帰った。大阪を出発したのは前日の朝で、豪雨のなかを進み、途中一泊してその日の午後4時頃に到着した。教祖はにこにことして、
「あの雨の中をよう来なさった」
と仰せられ、たねの頭をなでられた。さらに教祖は、
「おまえさん方は、大阪から来なさったか。珍しい神のお引き寄せで、大阪へ大木の根を下ろして下さるのや。子供の身上は案じることはない。」と仰せになって、少し癒え残っていた、たねの身上にお紙を貼って下さった。
たねが、間もなく全快の御守護を頂いたのは、言うまでもない。
梅治郎の信仰は、この、教祖にお目にかかった感激とふしぎなたすけから、激しく燃え上がり、ただ一条に、にをいがけ・おたすけへと進んで行った。
この「大木の根を下ろす」とは、実に意味深い教祖のお言葉である。
先に種市さんが親神の信仰の種を井筒家のたねさんに植え付けたが、またさらに教祖のお言葉によって、将来大木の根となる種が都会大阪の地にはっきりと下ろされたということである。
※たねさんのその後の詳細などについては、まだまだ調べが不足している状況です。
井筒梅治郎先生の生い立ちと入信~真明組結成まで