天理教人名辞典 谷岡宇治郎 たにおかうじろう

谷岡宇治郎 たにおかうじろう

明治18年(1885)10月、山辺郡苣原村(現、天理市苣原町)に住む谷岡宇治郎は、娘ならむめが足を挫いてリュウマチとなっているのを、同村松浦みつに「お燈明を種油で小皿に上げて、おぢばの方に向かって、『何卒このお光のしめります(註、消える)までに、痛みを止めて下され。』と、お願いするように。」と教えられた。

そこで、教えられたとおり、お燈明を上げて、「救けて頂いたら、孫子に伝えて信心させて頂きます。」と心に誓い、一心にお願いすると、それまで泣き叫んで手に負えなかったならむめの手足の疼きは、ご守護いただいた。

宇治郎は、ならむめを背負ってお礼詣りに「おやしき」へ帰り、辻忠作の取り次ぎで、教祖(おやさま)にお目にかかり、お礼を申し上げた。

それから間もなく、今度は宇治郎が胸を患ってやせ細ったので、教祖にお目通りすると、

「身上にしるしをつけて引き寄せた。」

とのお言葉で、着物を着替えて来るようにとのことであった。

翌日、服装を改めて教祖のもとへ出させていただいたところ、結構に「さづけの理」をいただいた。

胸の患いも間もなくご守護いただき、感激した宇治郎は、その後、山里の家々をおたすけに歩き、やがて、苣原村を引き揚げておやしきに住み、大裏でご用を勤めるようになった。