教会長ご挨拶
日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。
新型コロナウィルス感染拡大も一旦収束に向かったかに思われましたが、経済活動の再開と油断から再び感染者が増加しており、又追い打ちをかけるように大洪水などの災害も各地で頻発し、多くの人々が不安と絶望感にさいなまれています。
私達ようぼくはこの節に対する親神様の思いは奈辺にあるかということを、3月以降思案させて頂き、その思いにお応えすべく取り組んでまいりましたが、到底思召しにお応えするに至っていないのが現状です。
その中にあって、先月には、本年一回目の大教会を通してのおぢばへの仕切りに対して、一手一つに取り組ませて頂き、皆様のご真実を頂いて有難く年頭心定めを完遂させて頂くことができました。
しかしながら、本年は人作りが殆どできておらず、誠に申し訳ない限りです。
今後は10月に迎える当教会の創立十周年記念祭、2年後の天浦分教会創立八十周年記念祭活動を中心に、にをいがけようぼく・中席者の丹精、次代を担う人材の育成、そして教理の研鑽に務めさせて頂きましょう。
今月も何卒宜しくお願い申し上げます。
八生兵庫分教会長 西村一郎
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 2 名 |
よ ふ ぼ く | 1名 |
八生兵庫のルーツ~木下寿美子先生の親心に導かれて~
八生兵庫分教会 沿革
西村家は、大正の初めころから馬車や人力車の内張業や米屋などを営んでいたが、代々リューマチに苦しみ、また夫婦の事情などもあったところ、天浦分教会二代会長木下寿美子先生のお導きにより、昭和の初め頃、実家の兄嫁に当たる西村久子が入信。
昭和12年におさづけの理を拝戴、同15年に神様をお祀りさせて頂き講社となる。
その後、教祖八十年祭後の昭和42年に親の声により八生兵庫 布教所を開設させて頂き、西村久子が初代所長となる。
西村久子は家業を切り盛りするかたわら、天浦分教会の草分けのころから、木下寿美子先生のご指導のもと、つくし、はこび、ひのきしん、またにをいがけに精魂を傾け、西村家の信仰の礎を築く。
昭和52年4月に出直した後、長男西村武郎が二代所長を拝命し、木下範三天浦分教会三代会長様のもと、責任役員としてお道の御用を勤めさせて頂く。
平成2年10月、武郎の長男で後継者西村一郎夫婦が木下寿美子先生のお声を頂き、道一条を志し天浦分教会に住み込み、約20年間勇んで通らせて頂く。
平成21年、木下修一朗天浦分教会四代会長様の親心により神殿・教職舎のふしんをさせて頂き、平成22年3月26日お運びをさせて頂いて、教会設立お許しを戴き、現在に至る。
いぶし銀の如く いまだ輝く八生兵庫の危機を救って下さった大恩人
天浦分教会 木下 範三 三代会長様「あまうら70周年を迎えて」『だんぺん』より抜粋
(天浦分教会)初代夫婦は、信仰させて頂く誰もがそうである様に、特に母は、深くおぢばを尊び、お慕い申し上げ、理の親々に対しても深い尊敬と厚い信頼を持ってつとめてくれておりました。
とに角、理の親々の仰せには、夫婦揃って、全く無条件で、そのお声に素直に従わせて頂く心根深く、昭和三十年大内通りの教会を納消。現垂水の地に移転させて頂きました。
当初は六畳二間の神殿で、電気・水道も無く、長い難儀苦労の道中であった様に思います。
先代は、「お道を通らせて頂いた道中、辛いとか・苦しいとか・悲しいとか、一寸も思ったり、感じた事は無かった」と、成人し、これからと云う弟を亡くした時でさえ、涙一滴見せませんでしたが、只一度、上級の女性 会長が退職される折、涙を流したのを憶えております。
まだまだ若い私が、或る時、母に「うちはいつになったら結構になるんやろうなあ」とたずねると「そのうちにね」と答える。
「そのうち云うたら何時や」と云うと、「そのうち云うたらそのうちや」と。後年、ご本部の中庭で前真柱様のお話に親神様は「ここまでついてこい」と仰せになる・・・
「ここまでとは、ここまでである」と云うお言葉が在りました。
ある方が、「天浦はいつもしんどい道を歩んでいるなあ・・・」と仰ったが、母は、常々御用をさせて頂く時、「重いか・軽いか・難しいか・簡単か」が選べる時「結果が遠く、遅くなっても、必ずむつかしい方を選びなさい。」と云っておりました。
「重荷を背負って歩ませて頂く程、おやさまのおひながたをより 深くお慕い申し上げる事が出来、自身の重みを増すことが出来る。」
親の声は命やで
天浦分教会 木下 修一朗 会長様「あまうら70周年を迎えて~10年の歩み」巻頭『七十周年を迎えて』より抜粋
天浦信仰の元である、木下寿美子二代会長は─
「負けて通りなさいよ、人生は心が高いか低いかで決まるんやで、一番恐いのは甘えと油断やで、大切なのは親孝行と人だすけやで」
とまた
「親の声は命やで、親が合うとろうと間違っていようとそんな事関係ない、親の声を聞いたという理が、あんたや子供の運命をたすけてくれる。この道は通った者だけに下さる御守護の世界や。親の声を真剣に守って行きなさい、聞いたという理を作りなさい。」
と、お道を通る上で大切な事を身を以て沢山教えて下さいました。
また、父である木下範三三代会長は、その二代会長の思いを心に、常に陰となって親一条にお通り下さり、また
「いつでも、どんな状態でも、なってくる姿の中に、親神様の与えと、全てを受け入れ喜ぶ」
という信念を持ってお通り下さいました。
歴代会長がお通り下さった信仰信念が輝きを増すのも腐ってなくなってしまうのも、我々の通り方次第と思っています。
いついつまでも輝き、そして親から子へ、子から孫へと引き継げるような通り方をさせて頂きたいと思っています。
節から芽が出る─伏せ込まれた宝物
西村一郎会長「あまうら70周年を迎えて~10年の歩み」より
天浦分教会創立六十周年記念祭を務め終えた平成十四年五月、平成七年に起こった阪神大震災により倒壊し移転していた布教所を、木下範三三代会長様の親心により元布教所のあった現在の場所に復興させて頂き、六月に私、西村一郎が三代所長に就任させて頂きました。
そこは生まれ育った場所でありプレハブながら、かねて念願であった教祖にお喜び頂けるような九つの鳴物を揃えてのおつとめを初めて勤めさせて頂いた感激を今も忘れることはできません。
私は六十周年を半年後に控えた平成十三年十月に重度のくも膜下出血で倒れましたが、三代会長様はじめ大勢の方の真実を頂き奇跡的におたすけ頂きました。
私共夫婦は、おたすけを頂いた御恩にどうでもお応えさせて頂きたいと、布教所の方々と共に平成十五年からの教祖百二十年祭三年千日年祭活動を白熱的に務めさせて頂きました。
成らん中の神殿ふしん─さぁこれから!
教祖百二十年祭を勤め終えた平成十八年秋、会長様より教会設立を目指しての神殿ふしんのお声を頂き、翌十九年九月二十六日、天浦分教会付属建物増改築願のお運びをさせて頂き理のお許しを戴きました。
しかし、心の成人の未熟さから、建築資金の借入れや建築確認が難航を極め、ふしんは容易には進みませんでしたが、自分の思いを捨て親の思いに添いきる心定めとふしんの理立を運ばせて頂いた 直後に、建築確認が下り、平成二十年十二月に着工、翌二十一年六月に竣工の御守護を頂きました。
翌二十二年三月 二十六日に、兵神大教会の直轄教会であった北神館分教会の移転復興という形で、教会名称変更、教会長任命のお運びをさせて頂きました。
そして、五月八日大教会後継者清水慶政様祭主のもと鎮座祭を執行、翌五月九日晴天の御守護のもと、大教会長様御夫妻はじめ上級のすべての親々の御参拝を賜る中、約二百名のようぼく、信者また教友の参拝者とともに感激の奉告祭を務めさせて頂きました。
天浦七十周年記念誌を振り返る ☆八生兵庫10thは天浦80thへの心定めの旬☆
西村 順子奥様「あまうら70周年を迎えて~コラム」より
頂いた御恩の数々
白な装いで車イスに乗られた寿美子先生が布教実習中の兵庫駅前に現れて下さいました。
十年前の六月十日、十二下りそして自らリーレットもお配り下され、御身上中も厭わずのおねりあいに八生兵庫一同感激の中、大きな親の理を頂戴致しました。
しかし、その二ヶ月後にまさかお出直しになられるとは思いもよらず、又その後如何に西村家が先生の御苦労によって守られてきたかを思い知る大節がやって来たのです。
十月末、主人一郎が突然部屋で倒れており、脳幹重度のくも膜下で再起不能との宣告でした。
当時、範三会長様より教会 設立への神殿ふしんの土地探しの声を頂いて おり、しかし寿美子先生からは─
「あんた達は探したらあかん。おたすけで与わる」
との声も頂き、相反するお声にこもるお二方の暖かい親心は充分に感じながらも、未熟な我々夫婦は身動きがとれない状態の時でした。
親への尽くしが足らんのや!
晴天に霹靂のふしに病院で茫然自失中、飛んで来て下さった修一朗現会長様・恵美子奥様の親心と頼もしさ、家一軒建つ程の理立てを上級へと運んで下さった範三会長様、親々のおかげにより奇跡的に救けて頂きました。
そのふしから土地が決定し、その後、年祭活動の数年間は夜中の布教で多数の方をおぢばへお連れさせて頂き、年祭明けて愈々設計が始まりました。
ところが約束していた銀行から融資を断られ、何軒も廻った銀行全てから断られ「あぁ、もう あかんな・・・」と意気消沈して歩く姿を俊子奥様(兵神大教会前会長夫人)が偶然見かけて下さり「どうしたの?何て顔してたの!!」と一喝のお電話を下さった時、ハッとしまして
「あぁ、親への尽くしが足りんのや」
と気が付かせて頂き、頭に浮かんだ家に飛び込みで、ふしん金の一割を借りに行く中、おやさまがお働き下さり三分で承諾して下さり、三日後に振り込まれたものを理立として運んだ途端、滞っていた融資が決定したのです。
そこには多大なる修一朗会長様の丸ごとの親心なくしては、成り立っておりません。その1年後建物は完成したのですが、ふしんとは将に心のふしんである事が骨身にしみる十年間でありました。
恩の分かりにくい又理の分からない私に、おやさまは身上事情を通して種々お仕込み下さった事深く感謝しております。
そして親々の深い親心と多大なる御恩に末代かけての報恩の道の第一歩が今から始まると共に、感恩の精神を八生兵庫に連なる全ての方々に伝えるべく、人だすけと親孝行の実践を、緩む事なく、どんなふしも喜びの心で前進させて頂く勇んだ教会の姿で通れる様に努力を重ねさせて頂きます。
月間よろこびスケジュール
日 程 日 付 | 行 事 | 時 間 |
8月4日(火) | 天浦分教会 霊祭 | 10:00執行 |
5日(水) | 《 兵庫布教 》 | 9:30 神殿集合 |
9日(日) | 《 中央区布教 》 | 9:30 神殿集合 |
11日(火) 土) | 天浦分教会 月次祭(直会当番) | 9:30執行 |
12日(水) ( 土) | 名田分教会 月次祭(直会当番) | 10:00執行 |
14日(金) ( 土) | 八生兵庫別席団参 | 9:00 兵庫出発 |
15日(土) | 琴緒分教会 月次祭 | 11:00 執行 |
16日(日) | 《 松山布教 》 | 5:30兵庫発 |
18日(火) | 八生兵庫分教会 霊祭 | 10:00神殿集合 |
おつとめ練習 | ||
20日(木) | 《 天浦分教会布教実習会 》 | 10:30神殿集合 |
22日(土) | 《 垂水布教 》 | 9:30 神殿集合 |
23日(日) | 兵神大教会 月次祭/遥拝式 | 10:00執行 |
26日(水) | 御本部月次祭/遥拝式 祭 | 8:30神殿集合 |
△ 記念祭全体リハーサル ▽ | (おつとめ着) | |
30日(日) | おつとめ練習 | 10:00 神殿集合 |
9月 1日(火) | 八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん | |
2日(水) | 八生兵庫分教会 月次祭 | 10:00執行 |
よろこび月報 立教183年8月2日号