立教180年2月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

今一度 足元を見つめ直し─一歩一歩“をや”の思いに近づく成人の歩みを進めよう!

日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り誠に有難うございます。

去る1月26日、国内外から帰参した教友が参拝場はもとより神苑一帯を埋め尽くす中、立教180年御本部春季大祭が真柱様祭主のもと、厳粛に勤められました。

祭文奏上に続いて、かぐらづとめとてをどりが滞りなく勤め終えられたあと、神殿講話に立たれた真柱様は冒頭春季大祭の意義についてふれられ、続いてたすけ一条の 根本であるおつとめについて、その完成に至るみちのりを年代を追って史実に基づき述べられました。

そして、外部からの迫害干渉を受けることなく、御教え通りに勤めることのできる今日においてこそ思案の順序を違えることなく神一条の精神をもって事に当たることの大切さを強調され、最後にぢばの出張り場所である教会のあるべき姿とそこに集う教会長はじめ教会に集う人々の果たすべき役割について、ご教示下さり講話を締めくくられました。

私達はこの真柱様の思いにお応えするべく、今一度足元を見つめ直し、次の塚に向かって地道におつとめと布教、またようぼく中席者の丹精、道の将来を担う人材の育成に努め励み、一歩一歩“をや”の思いに近づく成人の歩みを進めて参りましょう。

今月も何卒宜しくお願い申し上げます。

『なんと素晴らしい』 納消そして奇跡

教話集「親から子への贈り物」第一集より

私の実家である西村家のいんねんとしては、私で五代目になるわけですが、代々続いたリュウマチ私は成っていませんけど、兵庫の兄嫁がリュウマチの身上を頂戴しておりました。

母と兄嫁がと二人がリュウマチでしたし、その母のお母さん、お婆さん、皆ずうっと。

それがちょっとしたリュウマチじゃないんです。

ひどい、ひどい。姉の場合は割と簡単でしたけど、私の母親の場合は、もうひどいリュウマチでした。

母は、お陰様で病気が出てから三十七年目にお道に入らして貰いました。

そして、納消も精一杯しました。

とにかく喜んで勇んで毎日、勿体ないの連続でした。

四十年近いリュウマチがどんどん治っていきまして、お陰様で最後には、大きな手の歪んでるのがパチッと治るのに二・三年かかってました。

丁度パチッと音がして、手が伸びた時、私、側にいてびっくりしました。

母は、治った方の手を片一方の手で持ちながら、余りの嬉しさで部屋中、喜んでワアァと歩き回ってました。

私も何とも言えん。

こんな姿見せて頂けて、なんと素晴らしいという思いで見せて頂きました

つくし・低い心・よろこび一杯の日々 

木下寿美子先生著「悩みに答えて~あなたもしあわせに」より

なぜ母がこんなひどい身上を頂いたのか。

結婚して間もなく妊娠して五か月目に主人が嫌いで仕方がないというので、ご主人がどんなことでも改めるからと頼むのを振り切って一方的な考えで実家に帰り、再婚して男四人、女一人をお与え頂き、だんだんひどくなり母の姉が熱心に道を通っていましたので、いろいろとお話をきかせて頂きましたが、母は入信せずに、断り続けていました。

私が母に代わっていつもお話を聞いていました。

そのうちに私は道一条になり、名称を頂きました。

その時母も入信し、私の教会に住込みとして来てくれましたが、体はまったく自由がきかず、丸太ン棒のような姿で苦しんでいました。

~ 中 略 ~

母は口では説明できない位のつくし低い心、よろこび一杯の日々を通ったのです

私のようにリュウマチが代々続いた家の悪いんねんの者でも、今日結構にお連れ通り頂いています。

リュウマチを病むような人はずいぶん頑固で、晩年はどうしても孤独になりやすいのに、ありがたいことに長らく道をお連れ通り頂いたので、本当に今、心の長者だと思います

私の家は、リュウマチ続きでした。

私も結婚して、子供を産みました時に、なんとなくリュウマチのいんねんを自覚して、それから、どうしてもリュウマチのいんねんを切らせて頂く為に、信仰に入りたいと思いました。 

~ 中 略 ~

それでもすぐに天理教に入信しようという気になれませんでしたが、信仰はしたいと思っておりましたので、いろいろな宗教のお話しを聞いて回りました。

ちょうど二年間、キリスト教、霊友会、モラロジー、生長の家と、いろいろ聞かせて頂きましたが、私はやはり天理教のお話が一番良いと思いましたので、とうとう思い切って、この道に踏み切らして頂き、昭和11年に道一条に通らせて頂くことになりました。

そして天理教大反対のリュウマチの母も、とうとう昭和十七年に入信してくれまして、私が教会名称の理を頂いた時に教会に住込みました。

それからの信仰ぶりは、朝に夕に、もったいないの連続でした。持っているものは全部納消し、手も足も不自由で、満足に歩くことも出来なかった母は、 ひたすら、「つくし」と「たんのう」とを常として、ひまがあれば 『みかぐらうた』を唄い続けていました。

教会に住み込んで四年目、母の身体は完全にご守護頂き、

~ 中 略 ~ 

今では誰もリュウマチを病んでいる家族はいません。

木下家・西村家のルーツ

立教180年1月27日 順子奥様 朝席の話より

親の傍におる値打ちというのは、改めて膝突き合わせて「こうですよ…。」なんてものじゃないんです─

日常の暮らしの中でフッと思い出したように「こんなことがあったなぁ・・・」と、思い付いたようになさるお話・・・それこそが我々理の子の宝なんです。

夜でも、「順子ちゃん、・・・あの時はこうこうこうだったのよ。」・・・

そんな感じでつれづれに1時間位お話をして下さった事が記憶の底の方にあって、何か事があった時にフッと蘇えるんです。

いま想えば、本当に夢のような大事な時間を、私は独身の時代に頂戴していたんです。

そんな中でリュウマチが治った話はよく聞かせて頂いておりました。

それと、もうひとつは「兵庫の姉さんのお陰やねん。」「…ほんまに尽くしてくれた。」というようなお話をことさらに聞かせて頂き、私の中に、先生がこんなに喜んでおられるその「兵庫の姉さん」という方の存在に対して、一信仰者として、憧れのような…また尊敬の念が育ってきたんです。

まだここ(西村家)に嫁ぐなんて思いもしない頃の話です。

~ 中  略 ~

確か、リュウマチのお母さんが五軒程借家を持っておられて、毎月家賃収入があったそうです。

教会へ住込んだときに、それを全部お供えされたんです。先生は「ちょっと位持っときなさい。」と言われたのに、「また要る時は言うから、私はいいの。」と、きれいに丸ごと納消されたんです。

足も立たない、手も蹄(ひづめ)のようにいざって自分の頭もかけない・・・

そんな中でも、ご自分に出来るひのきしんを精一杯されてました。

第一に“① 納消 ”、次に“② ひのきしん ”そして極めつけは“③ よろこび ”です。

不自由な体で、少しでも教会の役に立てることを「ありがたい!もったいない・・・」と心から喜んでおられたんです。

そこに医学的には考えられないご守護を頂かれたんです。

『身体と運命に奇跡が起こる時の三条件』は、これなんだと思いました。

正にこの奇跡的なたすかりが木下家・西村家の信仰のルーツなんです。

信仰のルーツがこれだから、この教会(八生兵庫)には、医学が絶対に駄目やというものがたすかる理があるんです!

だから今だにこの教会には多くの奇跡的なたすかりを鮮やかに見せて頂けるのです。

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者3名

月間よろこびスケジュール

日   程                                 日  付行    事時   間
2月3日(金)  八生兵庫 婦人会の集い10:00 神殿集合
   4日(土)天浦分教会 霊祭10:00執行
   5日(日)<兵庫布教>    10:00 神殿集合
   6日(月)  <中央区布教>    9:30神殿集合
10日(金)<教会長布教所長夫妻布教・おつとめ練習>/前日ひのきしん9:30天浦/14:00神殿集合
11日(土) 日()日( 土)天浦分教会 月次祭9:30執行
12日(日) 日()日( 土)名田分教会 月次祭 /<垂水布教>10:00執行/13:00出発
13日(月)  【別席団参①】兵庫9:00発
14日(火)  <西区布教>   11:00八生瀧川布出発
15日(水)琴緒分教会 月次祭11:00 執行
16日(木)    【別席団参②】兵庫9:00発
17日(金)  <松山布教>   5:30兵庫発
18日(土)八生兵庫分教会 霊祭/おふでさき勉強会/喜竜会10:00執行/12:45/18:00
19日(日)≪琴緒分教会 故・津田茂都美刀自五年祭≫10:00執行
20日(月)<天浦分教会布教実習> 10:30天浦神殿 集合
22日(水)【別席団参③】八生兵庫 担当: 9:00兵庫発
23日(木)兵神大教会 月次祭10:00執行
25日(土)天浦青年会活動/修養科生入学受付9:30集合/兵神詰所15:00面接
あまうら子供会「あまうらこども横丁」9:30天浦神殿 受付
26日(日)御本部月次祭   6:30八生兵庫出発
27日(月)<芦屋・西宮布教>9:30神殿集合
28日(火)【別席団参④】兵庫9:00発
3月 1日(水)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん/前日神名流し (13:00出発)
2日(木)八生兵庫分教会 月次祭10:00執行