第十章 扉ひらいて 天理教教祖伝

明治二十年

このように、内外多事のうちに、道は尚も弘まってゆくばかりであったが、明治十九年も暮れ、明けて二十年一月一日(陰暦十二月八日)の夕方に、教祖は、風呂場からお出ましの時、ふとよろめかれた。

その時、伺うと、

「これは、世界の動くしるしや。」

と、仰せられた。

その日はさしたる事もなかったが、翌日は御気分宜しからず、一同心配したが、この時は、程なく持ち直された。

が、一月四日(陰暦十二月十一日)、急にお身上が迫って来た。

そこで、御休息所の、教祖のお居間の次の間で飯降伊蔵を通して、思召の程を伺うた処、

さあ/\もう十分詰み切った。これまで何よの事も聞かせ置いたが、すっきり分からん。何程言うても分かる者は無い。これが残念。疑うて暮らし居るがよく思案せよ。さあ神が言う事嘘なら、四十九年前より今までこの道続きはせまい。今までに言うた事見えてある。これで思やんせよ。さあ、もうこのまゝ退いて了うか、納まって了うか。

とのお言葉があった。

お前達は、親の言葉を肚の底から聞いて居ない。この事が親にとっては実に残念である。お前達は、世間普通の人間思案をまじえて物事を考え、疑いながら暮して居る。が、このように、親神の話を素直に聞かない。肚の底から一条心になれない、というのは実に残念である。親神の言う事が嘘なら、四十九年前、即ち天保九年以来この道が続いて居る筈が無いではないか。親神の道が正しいか、世間普通の人間思案が正しいか、よく思い比べて思案せよ。皆の者の成人が、余りにも鈍く、聞分けが、付かないようなら、をやはもうこのまゝ息を引きとって了うかも分らんぞ。との仰せである。

そして、この時、教祖は、息をせられなくなり、お身上が、急に冷くなった。

そこで、一同打驚いて、これは、かね/\お急込みのつとめを、官憲の圧迫ゆえとは言いながら、手控えて居たのが間違いであった、と気付き、翌一月五日(陰暦十二月十二日)から、鳴物は不揃いのまゝであったが、連日お詫びのつとめをさして頂いた。

しかし、官憲を憚って、依然、夜中門戸を閉ざして、ひそかにつとめして居たのである。

そのためか、教祖の身上は、幾らか持ち直されたが、依然として何もお召し上りにならぬ。

そこで一月八日夜(陰暦十二月十五日夜)、その日居合わせた人々、それは、昨年来、公然とつとめをさして頂きたい上から、教会設置の相談をして来た人達であるが、その人々の相談で、世界並の事二分、神様の事八分、心を入れつとめをなす事、こふき通りに十分いたす事。と定まった。

時に、翌一月九日(陰暦十二月十六日)午前五時であった。

この心定めを受け取られてか、この日(陽暦一月九日)は朝から、教祖は御気分よろしくなられ、御飯さえ少々召し上られた。そして、教祖のお口から、親しくお話があった。

さあ/\年取って弱ったか、病で難しいと思うか。病でもない、弱ったでもないで。だん/\説き尽してあるで。よう思やんせよ。

決して、年とって弱ったのでもなければ、病気という訳でもない。もう説くだけは十分説き尽した。今こそ、心定めの時が来て居るのである、をやの身上に異状を見せて、たすけ一条の道であるつとめを急込んで居る。と、諭された。

が、翌一月十日(陰暦十二月十七日)には、教祖の御気分が、又々勝れない。そこで、この日午後三時頃、一同相談の上、次の間で飯降伊蔵によって、どうしたら教祖のお身上が快くなりましようか。今迄のように夜だけでなく、昼もつとめさして頂きましようか。と伺うと、

さあ/\これまで何よの事も皆説いてあるで。もう、どうこうせいとは言わんで。四十九年前よりの道の事、いかなる道も通りたであろう。分かりたるであろう。救かりたるもあろう。一時思やん/\する者無い。遠い近いも皆引き寄せてある。事情も分からん。もう、どうせいこうせいのさしづはしない。銘々心次第。もう何もさしづはしないで。

もう今迄に、言う事は皆言うてある。これを各自の心で確り判断する事が肝腎である。何でも彼でも親神に尋ねて一時をしのぎ、後で心を鈍らすというような事を、繰り返して居ては何にもならぬ。今迄に四十九年も通って来て、あらゆる場合のひながたを出してある。皆が勇んでおぢばへ帰って来た日もあれば、心ならずもをやの苦労を見送った日もあろう。又、おたすけを頂いた者も数々あろう。が、その中を通り抜けて、現に今日迄道はつゞいて居る。このみちすがらを振り返って見て、今このをやの身上に異状を見せて、急込んで居る事の真意を、各自々々の心に確りと悟りとれ。しかも、銘々勝手にではなく、談じ合い心を練り合うて、一つの心で一つの道に、確りと一つの龍頭に集まるようにせよ。と、諭された。

この、もう指図はしない、との仰せに一同打驚き、真之亮に申上げた上、居合わせた人々は直ちに相談を始めた。

その人々は、前川菊太郎、梶本松治郎、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、高井直吉、辻忠作、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、清水与之助、諸井国三郎である。

相談の後、皆の者から、親神の道の御話の事、即ち、おつとめをしましよう。と言うて来たが、真之亮は、何れ考の上。と、答えた。

警察の従来からの弾圧振りと、教祖の容体とを併せ考えると、即答するには、事は余りにも重大であった。

その夜九時過ぎ、更に、次の人々が相談した。

鴻田忠三郎、桝井伊三郎、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、清水与之助、諸井国三郎、仲野秀信である。

そして、真之亮の返事を待ったが、依然として答はない。

そこで、前川、梶本両名の意見を問うた。両名は、それでは、我々からしんばしらの意見を伺おう。という事になって、この旨を述べ、相談したが、今晩、親神の仰せ通り、徹夜でおつとめしよう。という案は、官憲の態度が気懸りのため決定とならず、この点について、真之亮から教祖に伺う、という事に決った。

その時はもう十一日(陰暦十二月十八日)の未明になって居たので、夜が明けて一同は休息した。

この一同の真心を親神がお受け取り下されてか、その日は、教祖の御気分宜しく、床の上で、お髪を梳られた。

翌十二日の夜も、一同は、前々日のつゞきで、真之亮の返事を待って居たが、夜も更けて、十三日(陰暦十二月二十日)午前三時頃、いよ/\お伺いしよう。という返事があった。そこで、真之亮に梶本、前川の両名が付き添い、教祖の御枕辺に進んでお伺い申上げた。すると、教祖直々のお言葉に、

さあ/\いかなる処、尋ねる処、分かり無くば知らそう。しっかり/\聞き分け。これ/\よう聞き分け。もうならん/\。前以て伝えてある。難しい事を言い掛ける。一つの事に取って思やんせよ。一時の処どういう事情も聞き分け。

と、仰せられた。  

お前達は、何程言うても分らないではないか。確り聞き分け、もう何もお前達の言訳は聞かない。話は、四十九年以前からしてあるから、その時から練って居ったならば、何も難しい事はない。前々から心を揃えてやって居るのであるならば、つとめは出来るのである。

これに対して、真之亮から、前以て伝えあると仰せあるは、つとめの事で御座りますか。つとめ致すにはむつかしい事情も御座ります。と申上げると、

さあ/\今一時に運んで難しいであろう。難しいというは真に治まる。長う/\/\四十九年以前から何も分からん。難しい事があるものか。

今直ぐにつとめをするという事は、一見難しいように思うであろうが、難しい中を通る真実が、親神に受け取って頂けるのである天保九年以来、今日迄の事を思うてみよ。決して難しい事があるものか、との仰せである。

これに対して、真之亮から、法律がある故、つとめ致すにもむつかしゆう御座ります。と申上げると、

さあ/\答うる処、それ答うる処の事情、四十九年以前より誠という思案があろう、実という処があろう。事情分かりが有るのか無いのか。

そんな返答をするが、この道創まって以来、この道はたゞ一条の誠真実の道である。心を入替え、真実の心を以て、陽気ぐらしの世に進んで行くのが我々の道であるという事が、分って居るのかどうか。先に治めなければならない事は、法に関係のある問題よりも、喜びの心を治める問題なのである。皆の心が陽気に勇んで、そして進むならば、自ら開ける道がある。と教えられた。

これに対して、真之亮から、親神の仰せと国の掟と、両方の道の立つように御指図願います。と願うと、

分からんであるまい。元々よりだん/\の道すがら。さあ/\今一時に通る処、どうでもこうでも仕切る事情いかん。たゞ一時ならん/\。さあ今という/\前の道を運ぶと一時々々。

四十九年前から、話もし、だん/\とひながたに見せてある。今という今と成っては、どうでも話通りの事を、ともかくもやれ。何でもよいから、つとめをせよ。と、急込まれた。

これに対し、真之亮から、毎夜おつとめの稽古致しまして、確り手の揃うまで、猶予をお願い致します。とて、尚も、延期を願うと、

さあ/\一度の話を聞いて、きっと定め置かねばならん。又々の道がある。一つの道もいかなる処も聞き分けて。たゞ止めるはいかん。順序の道/\。

親神の話を確り聞いて、心を定めるという事が一番大切な事である。将来の事を考えれば、それ/\手続きが要るが、この今という今、この抜差しならぬ時に当っては、心を定めるという事が一番肝腎である。心さえ定まれば、道はいずれ開けて来る。法律があるからとて、たゞつとめを止めるのは、いけない。順序の道をよく思案してくれるよう。と、促された。

これに対して、真之亮から、講習所を立て、一時の処、つとめの出来るようにさして貰いとう御座ります。と申上げると、

安心が出けんとならば、先ず今の処を、談示々々という処、さあ今と言う、今と言うたら今、抜き差しならぬで。承知か。

何程言うてもお前達子供には分らないのであろう。法によっての順序というようにとって、そんな事を言うて居るが、今という今、をやの身上は抜差しならぬ事態に迫って居る。この抜差しならん今というこの時機を、どう考えて居るのか。とて、この期に臨んでの心の持方を仕込まれた。

これに対して、真之亮から、つとめ/\とお急込み下されますが、只今の教祖のお障りは、人衆定めで御座りましようか。どうでも本づとめいたさねばならんので御座りますか。と、伺うた。

漸くこゝに於いて、抜差しならんという意味について、親神の思召と人間の心とが、一つ心に寄って来たのである。抜差しならんと仰しやって居るのは、人の揃う事、即ち人衆定めでありますか。或は、本づとめ即ちかんろだいのつとめにかゝる事でありますか。何れが教祖の身上を以てお急込み下されている節でありますか。と伺うと、これに対して、

さあ/\それ/\の処、心定めの人衆定め。事情無ければ心が定まらん。胸次第心次第。心の得心出来るまでは尋ねるがよい。降りたと言うたら退かんで。

親神の急込んで居るのは、心定めの人衆定めである。このふしに際してお前達の心を定め、心の定まった処によって人衆を定める。心の定まるというのも、この難しい事情があるから定まるのであって、事情がなければ、真に心が定まらない。この上はお前達の心次第胸次第である。この事をよく悟って、神一条に、つとめ一条に進むならばよいのである。未だこれでも得心出来ないならば、心の得心出来るまで尋ねよ。総て教えて置こう。降りたと言うたら退かぬ。取返しのつかぬようになる前に、聞いて置け。との仰せである。

そこで、つゞいて、押して願として、教祖のお身上の平癒を願った処、

さあ/\いかなる事情。尋ねる事情も、分かり無くば知らそ。しっかり聞き分け。これ/\よう聞き分け。もうならん/\/\。難しい事を言い掛ける。一つ心に取って思やんせ。一時の事情、どういう事情を聞き分け。長らく四十九年以前、何も分からん中に通り来た。今日の日は、世界々々成るよう。

と、お教え頂いた。もうその頃には、夜が明けかゝって居た。

今迄は何も分らなかった。しかし、今後は一つ心になって思案せよ。総ての事は、つとめの事に当てはめて事情を考えよ。四十九年もの長い間、をやはひながたの道をつけて苦労艱難の中を通って来たが、お前達は、何も知らずに随いて来たのである。が、今こそ、もう時が迫って居る。世界へ出るのである。たすけが世界へ及ぶのである。と、宣言された。

これに対して、真之亮から、教会本部をお許し下された上は、いかようにも親神の仰せ通り致します。と願うと、

さあ/\事情無くして一時定め出来難ない。さあ一時今それ/\、この三名の処で、きっと定め置かねばならん。何か願う処に委せ置く。必ず忘れぬようにせよ。

一遍ではどうもならんであろうが、まあやっても宜かろう。しかし、それよりも先に、お前達三人寄って、屹度、一つにまとまって、よく相談するのが大切である。必ず三人が一つ心に合わせてやるという事を、忘れてはならんぞ。と、諭された。

そこで、真之亮から、教会設置をお許し下されたについて、ありがとう御座います。と、お礼言上すると、

さあ/\一時今から今という心、三名の心しいかりと心合わせて返答せよ。

将来の事については許し置くが、今直ぐ実行せよと言うて居るつとめの方についてはどうか、迫った身上によって急込んで居る今の時機に於いて、お前達はどんな心定めに向うのであるか、三名心を一つにして、確り返答せよ。と、仰せられた。

これに対し、真之亮から、この屋敷に道具雛型の魂生れてあるとの仰せ、この屋敷をさして、この世界初まりのぢばゆえ天降り、無い人間無い世界こしらえ下されたとの仰せ、かみも我々も同様の魂との仰せ、右三ケ条のお尋ねあれば、我々何と答えて宜しく御座りましようや、これに差支えます。人間は法律にさからう事はかないません。と、申上げた処、

さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。

と、噛んで含めるように、やさしく教えられた。

親神が先ず坐して、この世界が生れたのである。世界が生れてから、そこに国々があり、その中に人々が居り、その人々が身体を借りて居る。その人間が、住み易いように申し合わせて作ったのが法律である。いかに法律が出来ても、それを活用するか否かは、人の心にある。即ち、一番大切なのは心である。この順序を知ったならば、確りと親神の話を聞いて、真心、即ち親神に通じる真の心を定める事が何よりも大切である、と、教えられた。

これに対して、真之亮から、我々身の内は承知仕りましたが、教祖の御身の上を心配仕ります。さあという時は、いかなる御利やくも下されましようか、とて、根本の順序の理はよく分りましたが、今日の教祖のお身上が心配でなりません。さあという差迫った時には、我々の心通り確りと踏ん張って下さいましようか。と、念を押した。

これに対し、

さあ/\実があれば実があるで。実と言えば知ろまい。真実というは火、水、風。

人に真実の心があれば、親神の真実の守護がある。いよ/\という時は、親神が引き受ける。この世界の火、水、風は皆、親神の心のまゝに司る処である。と、鮮やかに引き受けられた。

尚も押しての願に対し、

さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで。

真実を以て買うならば、真実の守護を見せてやろう、親神の自由自在の守護を頂くには、皆々が真心の限りを尽して事に当るのが肝腎である、と、教えられた。

一月十三日からは、小康を保ちながらお過し頂いた。時には身を越し、庭へさへお下り頂いた。

ついで、一月十八日(陰暦十二月二十五日)夜から、毎日々々つとめが行われた。

そして、一月二十四日、即ち、陰暦正月元旦には、教祖の御気分大そう宜しく、床から起き上られ、一同に向って、

さあ/\十分練った/\。このやしき始まってから、十分練った。十分受け取ってあるで。

と、いかにも打解けた、そして満足気な、また一面親心溢れるお言葉を賜った。

年賀に集まった信者の人々に賜ったお言葉であると信じられる。

先日来のお身上で、いろ/\と心の練合いが進められた。

そして、正月元旦に、この屋敷初まって以来十分に練った。皆の心も十分に受け取って居るで、と、御満足の挨拶を下されたのである。

一月十八日(陰暦十二月二十五日)夜から始まった、かぐら・てをどりは、二月十七日(陰暦正月二十五日)夜まで続けられ、人々は寒中も物かは、連日水行して、真心こめて御平癒を祈った。

教祖の御気分も、引き続きお宜しいように見受けられ、二月十三日頃(陰暦正月二十一日頃)には、下駄をはいて庭に下り、元気に歩かれた程である。

処が、二月十七日夜(陰暦正月二十五日夜)、今にして思い返せば、教祖が現身を以てこの世に現われて居られた最後の夜であるが、この夜、教祖のお身上宜しからず、飯降伊蔵を通して伺うた処、

扉を開いて

さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで。さあ/\扉を開いて/\、一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。さあ/\扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\。とのお言葉である。

人間は、親神の目から御覧になれば、皆一列に兄弟姉妹である。魂の理から言うならば、些かも高低上下の差別はない。ろっくの立場、一列兄弟の立場に於いて、総ての人々が語り合う処にこそ、陽気ぐらしの世界への門出がある。即ち、人々の心をろっくの地にしようと思うが、さて、扉を開いて地を均そうか、扉を閉めて地を均そうか。と、問われた。

これに対し、一同から、扉を開いてろくぢにならし被下たい。と答えると、この時、伺いの扇がさっと開いた。

そして、

成る立てやい、どういう立てやい。いずれ/\/\引き寄せ、どういう事も引き寄せ、何でも彼でも引き寄せる中、一列に扉を開く/\/\/\。ころりと変わるで。

道の理と世界の理とが、いよ/\立て合うて来た。世界たすけの道をつけようとて、どのような者もこのような者も、皆、元のやしきへ引き寄せて来てあるし、どのような事柄も、皆、このやしきへ引き寄せて来てある。何でも彼でも、皆、引き寄せる中に、扉を開いて世界たすけに出たならば、ころっと道の様子が変って来る。と、仰せられた。

これにつゞいて、尚も、世界の事情運ばして貰い度う御座ります。と、又しても、教会設置の事を願うと、

ならん/\/\。取り違えてはならん、もっと迫って居る。と、お知らせ頂いた。

明くれば二月十八日、陰暦正月二十六日である。(註一)

恰も、従来から毎月、つとめをして来た日であるし、殊には、教祖のお身上に関して、つとめをお急込みになって居る。

近郷近在からは多数の参拝人が詰めかけて居る。

しかも、官憲の目は厳しく、一つ間違えば、お身上中の教祖をも拘引しかねまじい剣幕である。

人々はこの板挟みの中に立って、思案に暮れた。

そこで、思召を伺うと、

さあ/\いかなるも、よう聞き分けよ/\/\。さあ/\いかなるもどうも、さあ今一時、前々より毎夜々々々々伝える処、今一つのこの事情早うから、今からと言うたなあ。さあ、今という処諭してある。今から今掛かるという事を、前々に諭してある処、さあ今の今、早くの処急ぐ。さあという処、応分という処あろう。待つという処あろう。さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか。この先どうでもこうでも成る事なら、仕方があるまい。前々より知らしてある。今という刻限、今の諭じゃない。どういう処の道じゃな、尋ぬる道じゃない。これ一つで分かろう。

その事は前々から繰り返し/\諭した通りである。もっと早くから言うて居る。さあ、今と言うたら今直ぐに掛れ。さあ、早く急いで取り掛れ。手続きをするから、それ迄待ってくれ、というような悠長な事を言うて居る場合ではない。一体、お前達は法律が怖いのか。をやの話が尊いのか、どちらに重きを置いて信心をして居るのか、この点をよく考えなければいけない。親神の思いが奈辺に在るかという事は、前々から十分諭してある。説いてある。今の刻限は、もう尋ねて居る時ではない。これだけ言うたら分るであろう。との仰せである。

このお言葉を頂いて、一同心を定めて居ると、その日の正午頃から、教祖のお身上がいよ/\迫って来たので、一同全く心定まり、真之亮から、おつとめの時、若し警察よりいかなる干渉あっても、命捨てゝもという心の者のみ、おつとめせよ。と、言い渡した。

一同意を決し、下着を重ね足袋を重ねて、拘引を覚悟の上、午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った。その人々は、地方、泉田藤吉、平野楢蔵。神楽、真之亮、前川菊太郎、飯降政甚、山本利三郎、高井直吉、桝井伊三郎、辻忠作、鴻田忠三郎、上田いそ、岡田与之助。手振り、清水与之助、山本利三郎、高井直吉、桝井伊三郎、辻忠作、岡田与之助。鳴物、中山たまへ(琴)、飯降よしゑ(三味線)、橋本清(つゞみ)であった。

当時まだ幼少であったたまへも、孃、今日はお前もおつとめに出よ。との、真之亮の言葉によって、つとめに出た。

家事取締りに当ったのは、梅谷四郎兵衞、増野正兵衞、梶本松治郎。以上総計十九名。

つとめは、かんろだいを中に圍んで行われた。

この日、つとめの時刻には参拝人が非常に多く、その数は数千に達したので、つとめ場所の南及び東には、濫りに入り込まないよう竹を横たえて結界としたが、次々とその数を増して来る参拝人のため、遂にその竹は細々に割れたという。

つとめは午後一時頃から始まったが、とう/\巡査は一人も来なかった。

かくて、つとめは無事に了った。人々にとっては、これこそ驚くべき奇蹟であった。

しかし、これと立て合うて、陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は、丁度、「だいくのにんもそろひきた」という十二下りの最後のお歌の了る頃、一寸変ったそぶりをなさったので、お側に居たひさが、お水ですか。と、伺うた処、微かに、

「ウ-ン」

と、仰せられた。

そこで水を差上げた処、三口召し上った。つゞいて、おばあ様。と、お呼び申したが、もう何ともお返事がない。

北枕で西向のまゝ、片手をひさの胸にあて、片手を自分の胸にのせ、スヤ/\と眠って居られるような様子であった。

ひさは大いに驚いて、誰か居ませんか、早く真之亮さんを呼んで来て下され。と、大声に呼んだ。

報せを聞いて、真之亮が早速駈けつけた。つゞいてたまへ、おまさ、と、相次いで駈けつけて来た。

たまへの着いた時、真之亮は、孃、早よ来い。と、大声で呼んだ。

たまへは、おばあ様がおやすみになって居るのに、そんな大声を出してよいものか、と、いぶかって居ると、側に居たひさが、孃ちやん、おばあ様がこんなになられた。と、言いながら、たまへの手を教祖のお顔に持って行き、つめたいやろな。おばあ様は物言わはらへんねがな。と、言うたので、それを聞いて、初めてそれと知ったたまへは、「ワ-」と大声で泣いた。

真之亮は、泣くな。と、なだめてから、早速一同の人々に事の由を伝えた。

つとめを無事了えて、かんろだいの所から、意気揚々と引き揚げて来た一同は、これを聞いて、たゞ一声、「ワ-ッ」と悲壮な声を上げて泣いただけで、あとはシ-ンとなって了って、しわぶき一つする者も無かった。

教祖は、午後二時頃つとめの了ると共に、眠るが如く現身をおかくしになった。

時に、御年九十歳。

人々は、全く、立って居る大地が碎け、日月の光が消えて、この世が真っ暗になったように感じた。

真実の親、長年の間、何ものにも替え難く慕い懐しんで来た教祖に別れて、身も心も消え失せんばかりに泣き悲しんだ。

更に又、常々、百十五歳定命と教えられ、余人はいざ知らず、教祖は必ず百十五歳までお居で下さるものと、自らも信じ、人にも語って来たのみならず、今日は、こうしておつとめをさして頂いたのであるから、必ずや御守護を頂けるに違いないと、勇み切って居ただけに、全く驚愕し落胆した。

人々は、皆うなだれて物を言う気力もなく、ひたすらに泣き悲しんで居たが、これではならじと気を取り直し、内蔵の二階で、飯降伊蔵を通してお指図を願うと、

教祖存命の理

さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。

と、お言葉があった。

さあ今から世界を平な地にする。

今迄に言うた事は、実の箱に入れて置いたから、いよ/\親神がやしろの扉を開いて出たからには、総て現われて来る。子供可愛いばっかりに、その心の成人を促そうとて、まだこれから先二十五年ある命を縮めて、突然身をかくした。今からいよいよ、世界を駈け巡ってたすけをする。しっかり見て居よ。今迄とこれから先と、どう違うて来るか確り見て居よ。昨日、扉を開いて平な地に均そうか、扉を閉めて均そうか、と言うた時に、扉を開いて平な地に均してくれと、答えたではないか、親神は心通りに守護したのである。さあこれ迄から、子供にやりたいものもあった。なれど、思うように授ける事が出来なかった。これから先、だん/\にその理を渡そう。

このお諭しを聞いて、一同は、アッと思った。が、昨日答えた言葉を、今日言い直す事は出来ぬ。

昨日お答え申上げた時の一同の心からすれば、姿をかくされようとは、全く思いもかけない事であった。

しかしながら、姿をかくして後までも、生きて働かれると聞き、成程、左様であるか、教祖は、姿をかくして後までも、一列たすけのために、存命のまゝお働き下さるのか、それならば、と、一同の人々は漸く安堵の胸を撫で下ろした。

さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで、日々の道を見て思やんしてくれねばならん。

おさしづ(明治二三・三・一七)

一列子供を救けたいとの親心一条に、あらゆる艱難苦労の中を勇んで通り抜け、万人たすけの道をひらかれた教祖は、尚その上に、一列子供の成人を急込む上から、今こゝに二十五年の寿命を縮めて現身をかくされたが、月日の心は今も尚、そしていつ/\までも存命のまゝ、元のやしきに留まり、一列子供の成人を守護されて居る。

日々に現われて来るふしぎなたすけこそ、教祖が生きて働いて居られる証拠である。

月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ  一七 16 

おふでさき

註一 明治二十年二月十八日、陰暦正月二十六日は、西暦千八百八十七年二月十八日にあたる。