第八章 親心

このよふを初た神の事ならば
せかい一れつみなわがこなり  四 62

いちれつのこともがかハいそれゆへに
いろ/\心つくしきるなり  四 63

人間は、親神によって創造され、その守護によって暮して居る。故に、親神と人間とは真の親子であり、この世の人間は一列兄弟である。この理により、親神の心は、昔も今も子供可愛い一条である。

なに事もこのところにハにんけんの
心ハさらにあるとをもうな  六 67

どのよふな事をゆうにもふでさきも
月日の心さしすばかりで  六 68

教祖の心は月日の心、月日の心とは親神の心である。教祖の心こそ、無い人間無い世界を創められた元の神・実の神、親神天理王命の心である。更に、

にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもをてしやんしてくれ  一四 34

にち/\にをやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふばかりをもてる  一四 35

をやの一語によって、親神と教祖の理は一つであり、親神の心こそ教祖の心、教祖の心こそ親神の心であることを教えられた。

そもそも、親とは、子供から仰ぎ見た時の称名であり、子供無くして親とは言い得ない。親神の心とは、恰も人間の親が自分の子供に懐く親心と相通じる心で、一列人間に対する、限り無く広く大きく、明るく暖かい、たすけ一条の心である。

我々は、この親心をおふでさき、みかぐらうた、おさしづに拝し、ふしぎなたすけに伺い、教祖の面影や足跡に偲ぶ。

高齢の教祖にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとが、不思議にも一つとなって、何となく胸打たれ、しかも心の温まる親しさを覚えた。

教祖は、中肉中背で、やや上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられた。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられた。

お髪は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんと梳って茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられた。

眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思った。

足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かった。

教祖にお目に掛る迄は、あれも尋ね、これも伺おうと思うて心積りして居た人々も、さてお目に掛ってみると、一言も承わらないうちに、一切の疑問も不平も皆跡方もなく解け去り、ただ限りない喜びと明るい感激が胸に溢れ、言い尽せぬ安らかさに浸った。

お声は、平生は優しかったが、刻限刻限に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。

教祖は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた、神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育くんで、人々を導かれた足跡に、教祖の親心を仰ぐ。

おふでさきには、

このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ  一 21

せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ  一 22

なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする  一 23

と、耳に聴くだけでは忘れ易い人々の上を思うて、いついつまでも、親の思いにそのまゝ触れる事の出来るようと、筆に誌し、何人にも親しみ易く覚え易く、和やかに悟りとる事の出来るようにと、歌に誌されたのも、深い親心からである。

当時の様子について伝えられる処によると、親神の、

「筆、筆、筆をとれ。」

との、お急込みのまにまに、筆を執られると、日中は勿論のこと、暗闇の夜中でさえ、筆が走り、親神の思召を誌し了えられると、ぴたりと筆が止まったという。

かくて誌されたおふでさきは、第一号、第二号と数えて、十七冊に綴られ、明治二年から十五年頃まで、お年にして七十二歳から八十五歳頃に亙り、お歌の数は千七百十一首である。

第一号明治貳巳年正月従

第二号明治貳巳年三月

第三号明治七戌年一月ヨリ

第四号明治七年四月

第五号明治七年五月

第六号明治七年十二月ヨリ

第七号明治八年貳月

第八号明治八年五月

第九号明治八年六月

第十号明治八年六月

第十一号 明治八年六月

第十二号 明治九年頃

第十三号 明治十年頃

第十四号 明治十貳年六月ヨリ

第十五号 明治十三年一月ヨリ

第十六号 明治十四年四月ヨリ

第十七号 明治十五年頃 (註一)

おふでさきに誌された親神の思召の大意は、

親神は、陽気ぐらしを望みとして、元のぢばに於いて人間を創めた。

一列人間の真実の親であり、その心は、子供可愛い一条である。人間は皆、親神の子供、従って、世界一列の人間は互に兄弟姉妹であり、互い立て合い扶け合うこそ、本来の人間生活である。

人間の身体は、親神のかしもの、人間にとってはかりもの、心一つが我がの理である。病気や災難は皆、子供可愛い親心から、人間の心得違いを反省させて、陽気ぐらしへ導こうとの、よふむき、てびき、みちをせ、いけん、ざんねん、りいふく等に他ならぬ。心を入替え、ほこりを払い、誠真実の心を定めて願うならば、どのような自由自在のたすけをも引き受ける。

この度、親神は、元の約束により、魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理の合図立合いをまって、みきをやしろとして、初めてこの世の表に現われ、たすけ一条の道を教える。

人間世界創め出しの証拠として、元のぢばにかんろだいを据え、たすけ一条の根本の道として、これを圍んで勤めるかんろだいのつとめを教え、更に、身上たすけのためにさづけを渡す。

つとめによってよろづたすけを現わし、さづけによってどのような難病をも救ける。かくて、この世は次第に陽気ぐらしの世界へと立替わる。

一刻も早くつとめ人衆打揃い、心を合わせ、手を揃え、鳴物を整えて、一手一つにつとめをせよ。

と、この世元初まり以来の思召たる陽気ぐらしを、この地上に現わそうとて、かんろだいのつとめを教え、その理を納得させようとて、世界創造の元の理を明かし、時旬の迫るまゝに、一層激しく子供の心の成人を促しつゝ、ひたすらにつとめの完成を急込まれた。

おふでさきは、全巻どこを繙いても、到るところ皆暖かい親心が溢れ、その親心は明るい陽気ぐらしへと続く。先ず第一号には、

だん/\と心いさんてくるならバ
せかいよのなかところはんじよ  一 9

抑々この世の元初まりに、親神は陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召されて、人間世界を創められた。陽気ぐらしこそ、親神の思召である。然るに、人間は、心の成人の未熟さから、いかに智恵学問は進んでも、元を知らず親を知らず、元初まりの本真実を知らぬまゝに、ほこりを積みいんねんを重ねて、この世を憂世とかこって来た。

この人間を、元初まり以来の長の歳月、時により所に応じて成人に相応わしく、修理や肥で仕込みつゝ、這えば立て立てば歩めと、導き育てて来られたのも親心であり、この度、旬刻限到来して、陽気ぐらしを、もう一度、この世に現わしたい。と、たすけ一条の道を創められたのも、正しくこの子供可愛い一条の親心からである。この親心から、陽気ぐらしへの道として、終始一貫、実現を急込まれたのがつとめである。つづいて、

このさきハかくらづとめのてをつけて
みんなそろふてつとめまつなり  一 10

みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる  一 11

いちれつに神の心がいづむなら
ものゝりうけかみないつむなり  一 12

りうけいのいつむ心ハきのとくや
いづまんよふとはやくいさめよ  一 13

りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをとりをせよ  一 14

と、親神は、かぐらづとめを待ち兼ねる。皆揃うて早くつとめをするならば、親神も勇み、親神が勇めば、農作物も豊かに稔る。豊年満作の希望に充ちて、早くかぐらやてをどりをせよ、と促された。

第二号に進むと、

ちやつんであとかりとりてしもたなら
あといでるのハよふきづとめや 二 3

このつとめとこからくるとをもうかな
上たるところいさみくるぞや  二 4

と、茶摘みも終りその後の刈取りも済んだならば、よふきづとめの旬が来て、上に立つ人々の心も勇み立ち、やがて往還道が始まる、と教え、

なにゝてもやまいいたみハさらになし
神のせきこみてびきなるそや 二 7

せきこみもなにゆへなるとゆうならば
つとめのにんぢうほしい事から  二 8

と、つとめの完成を急ぐ上から、身上に徴をつけて、つとめ人衆を引き寄せる、と諭された。

にち/\によりくる人にことハりを
ゆへばだん/\なをもまあすで  二 37

いかほどのをふくの人がきたるとも
なにもあんぢな神のひきうけ  二 38

めつらしいこのよはじめのかんろたい
これがにほんのをさまりとなる  二 39

世界の思わくを慮って、親里を慕うて帰り来る人に断りを言えばとて、帰り来る人は弥増すばかりであるが、親神が引き受けるから何も案じる事はない。この世初めの元のぢばに、かんろだいを据えて、つとめに掛れば、この世は理想の陽気ぐらしの世となる、と、ここに初めて、かんろだいに就いて教えられた。

第三号に入ると、

しんぢつに神の心のせきこみわ
しんのはしらをはやくいれたい  三 8

このはしらはやくいれよとをもへども
にごりの水でところわからん  三 9

この水をはやくすまするもよふだて
すいのとすなにかけてすませよ  三 10

このすいのどこにあるやとをもうなよ
むねとくちとがすなとすいのや  三 11

このはなしすみやかさとりついたなら
そのまゝいれるしんのはしらを  三 12

はしらさいしいかりいれた事ならば
このよたしかにをさまりがつく  三 13

と、つとめの完成を急ぐ上から、その目標であるかんろだいの仕度を急がれ、

せかいぢうむねのうちよりしんばしら
神のせきこみはやくみせたい  三 51

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ  三 52

と、かんろだいの仕度を急ぐと共に、道の中心たるしんばしらを定める上から、親神の思召に照らし、親神を、己が胸のほこりを払う箒として、心を入替えるよう、人々の反省を促された。

十一に九がなくなりてしんわすれ
正月廿六日をまつ  三 73

このあいだしんもつきくるよくハすれ
にんぢうそろふてつとめこしらゑ  三 74

教祖がやしろの扉を開いて、世界ろくぢに均らすべく踏み出される日を予め告げて、それ迄に、つとめ人衆揃うてつとめの仕度を急げ、と、強く心の成人を促された。更に、

にち/\に神の心のせきこみハ
ぢうよじざいをはやくみせたい  三 75

これからハにんぢうそろをてつとめする
これでたしかににほんをさまる  三 76

しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに
なにもこわみハさらにないぞや  三 77

親神は、一刻も早く自由自在の守護を見せたいと思うて居るから、人衆揃うてつとめをするように。これで確かにこの世は治まる。たすけこそ、つとめにこもる真意であるから、いかなる迫害干渉も決して怖れることはない、と、励まされた。

第四号に入ると、

をもしろやをふくの人があつまりて
天のあたゑとゆうてくるそや  四 12

にち/\にみにさハりつくまたきたか
神のまちかねこれをしらすに  四 13

だん/\とつとめのにんぢうてがそろい
これをあいつになにもでかける  四 14

大勢の人々が天のあたえを求めて寄り集う喜びを述べ、つとめ人衆の手が揃いさえしたならば、それを合図につとめに掛る。

にち/\によふきづとめのてがつけば
神のたのしゆみいかほとの事  四 23

はや/\とつとめのにんぢうまちかねる
そばな心わなにをふもうや  四 24

親神は、どれ程その日を楽しみに待ち望んで居る事か。そばの者達も、この親心に添うて早くつとめの仕度に掛れ、と、急込まれた。

またさきのよふきづとめをまちかねる
なんの事ならかぐらつとめや  四 29

かぐらづとめこそ、親神の待ち望まれるよふきづとめである。

しんぢつに心いさんでしやんして
神にもたれてよふきづとめを  四 49

ただ一条に親神に凭れ、心勇んでよふきづとめに励め、と諭された。

これからハこのよはじめてないつとめ
だん/\をしへてをつけるなり  四 90

このつとめせかいぢううのたすけみち
をしでもものをゆハす事なり  四 91

にち/\につとめのにんぢうしかとせよ
心しづめてはやくてをつけ  四 92

このつとめなにの事やとをもている
せかいをさめてたすけばかりを  四 93

このみちがたしかみゑたる事ならば
やまいのねゑわきれてしまうで  四 94

この世元初まって以来、未だ曾て無いつとめ。世界たすけの根本の道である。つとめ人衆は、早く手振りを習い覚えよ。つとめさえ確りと勤めるように成ったならば、世界は治まり、病の根は切れて了う、と教えられた。

第五号には、

このたびハなんでもかでもむねのうち
そふちをするでみなしよちせよ  五 26

むねのうちそふぢをするとゆうのもな
神のをもハくふかくあるから  五 27

このそふぢすきやかしたてせん事に
むねのしんぢつわかりないから  五 28

この心しんからわかりついたなら
このよはぢまりてをつけるなり  五 29

一列人間の胸の掃除を急込まれ、胸の掃除も済み、心の真実を見定めたならば、いよいよ陽気世界創め出しの手振りを教える。と諭された。

第六号に入ると、

このみちハどふゆう事にをもうかな

このよをさめるしんぢつのみち  六 4

上たるの火と水とをわけたなら
ひとりをさまるよふきづくめに  六 5

この火水わけるとゆうハこのところ
よふきづとめをするとをもゑよ  六 6

このよふをはじめかけたもをなぢ事
めづらし事をしてみせるでな  六 7

このよふをはじめてからにないつとめ
またはじめかけたしかをさめる 六 8

この道こそ、世界に真実の治まりを齎らすただ一つの道である。火と水が各々分を守って、しかも互に相和する時、ここに陽気づくめの平和世界が来る。この治まりを現わそうと思うて、ここ、元のぢばに、親神の人間世界創め出しの働きをそのままに、よふきづとめを行い、陽気ぐらしを現わす、と教えられた。

第七号に進むと、

どのよふなたすけするのもみなつとめ
月日ゆうよにたしかするなら  七 83

しんぢつの心あるなら月日にも
しかとうけやいたすけするぞや  七 84

このたびハたすけするのもしんぢつに
うけよてたすけいまがはじめや  七 85

こらほどに月日の心せゑている
そばの心もつとめこしらゑ  七 86

このもよふなにばかりてハないほどに
とんな事でもみなつとめやで  七 87

つとめでもをなぢ事てハないほどに
みなそれ/\とてへをふしゑる  七 88

と、親神は、よろづたすけの思召から、つとめの仕度を促され、

なにもかもよふきとゆうハみなつとめ
めづらし事をみなをしゑるで  七 94

たん/\とつとめをしへるこのもよふ
むねのうちよりみなそふぢする  七 95

あとなるハにち/\心いさむでな
よろづのつとめてへをつけるで  七 96

このつとめどふゆう事にをもうかな
をびやほふそのたすけ一ぢよふ  七 97

このたすけいかなる事とをもうかな
ほふそせんよのつとめをしへる  七 98

このみちをはやくをしへるこのつとめ
せかい一れつ心すまする  七 99

このはなしどふゆう事にきいている
せかいたすけるもよふばかりを  七 100

かんろだいのつとめの手は、よろづたすけの場合と、願に相応わしく、をびや、ほふそ、一子、跛、肥、萠え出、虫払い、雨乞、雨あずけ、みのり、むほんの場合と、合計十二通りを教えられ、身は健やかに齢永く、稔り豊かに家業栄え、世界が平和に治まるよう、何欠ける事のない陽気ぐらしを引き受けられた。

第八号には、たすけづとめという文字が見出される。

それゆへにたすけづとめがでけんから
月日の心なんとさんねん  八 6

第九号に入ると、専らつとめの目標たるかんろだいについて諭され、

これからハなにのはなしをするならば
かんろふだいのはなし一ぢよ  九 44

いまなるのかんろふだいとゆうのハな
一寸のしながたまでの事やで  九 45

これからハだん/\しかとゆてきかす
かんろふだいのもよふばかりを  九 46

このだいをすこしほりこみさしハたし
三尺にして六かくにせよ  九 47

いまゝでにいろ/\はなしといたるハ
このだいすへるもよふばかりで  九 48

これさいかしいかりすへてをいたなら
なにもこわみもあふなきもない  九 49

月日よりさしずばかりでした事を
これとめたならハがみとまるで  九 50

これをみてまことしんぢつけへこふと
これハ月日のをしゑなるかよ  九 51

このだいがでけたちしだいつとめする
どんな事でもかなハんでなし  九 52

このだいもいつどふせへとゆハんでな
でけたちたならつとめするぞや  九 53

これさいかつとめにかゝりでたならば
なにかなハんとゆうでないぞや  九 54

これをみよたしかに月日ぢきもつの
あたゑしいかりたしかわたする  九 55

とのよふな事でもたしかしんちつの
しよこなけねばあやうきい事  九 56

心の成人につれて、かんろだいの仕度も亦進み、この台を圍み、人衆を揃え心を一つにして勤める時、親神は、天のあたゑたるぢきもつを授けられ、どのような願も皆、鮮やかにかなえられる。

これからハとのよな事もたん/\と
こまかしくとくこれそむくなよ  九 57

このはなしなにをゆうやとをもうなよ
かんろふだいのもよふ一ぢよ  九 58

このだいもたん/\/\とつみあけて
またそのゆへハ二尺四すんに  九 59

そのうゑゝひらばちのせてをいたなら
それよりたしかぢきもつをやろ  九 60

ぢきもつをたれにあたへる事ならば
このよはじめたをやにわたする  九 61

天よりにあたへをもらうそのをやの
心をたれかしりたものなし  九 62

月日よりたしかに心みさだめて
それよりハたすぢきもつの事  九 63

月日にハこれをハたしてをいたなら
あとハをやより心したいに  九 64

親神の仰せのまにまに、かんろだいの仕度を進め、一段一段と積み上げ、最上段の上に平鉢を載せて置いたなら、天からをやへ確かにぢきもつを渡される。人は皆、をやから心次第にぢきもつを授けられて、身健やかに定命まで置いて頂き、この世は陽気ぐらしの世界となる。

第十号に進むと、専らかんろだいのつとめに就いて教えられ、

たん/\とにち/\心いさむでな
なんとやまとハゑらいほふねん  一〇 18

にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで  一〇 19

とのよふなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで  一〇 20

つとめでもどふゆうつとめするならば
かんろふだいのつとめいちゞよ  一〇 21

このたいをどふゆう事にをもうかな
これにいほんのをやであるぞや  一〇 22

これさいかまことしんぢつをもうなら
月日みハけてみなひきうける  一〇 23

月日よりひきうけするとゆうからわ
せんに一つもちがう事なし  一〇 24

つとめによって、豊かな稔りと爽やかな健康とを請け合い、いかなる病をも救け、凡ゆる災いをも祓う。これが、かんろだいのつとめであり、これこそ、世界陽気ぐらしの根本である。これを信じるなら、必ず自由自在の守護を引き受ける。と誌され、

このはなしどふゆう事にきいている
かんろふだいのつとめなるのわ  一〇 25

一寸したるつとめなるとハをもうなよ
三十六人にんがほしいで  一〇 26

そのうちになりものいれて十九人
かぐらづとめの人ぢうほしいで  一〇 27

かんろだいを圍んで勤める人衆が十人、鳴物が九人、と、それぞれに数字を挙げて教え、てをどり及びがくにんを加えて、七十五人のつとめ人衆を教えられた。

しんぢつに心さだめてしやんせよ
とりつぎの人しかとたのむで  一〇 28

このだいをこしらゑよとてたん/\に
月日人ぢうのもよふするなり  一〇 29

人ぢうがしかとよりたる事ならば
そのまゝだいもでける事やで  一〇 30

つづいて、取次を促して人衆揃えを急込まれ、人衆さえ揃うて来たならば、かんろだいも自ら出来て来る、と諭された。更に、

このみちハどふゆう事であるならば
月日つとめのてゑをふしへて  一〇 31

それよりも月日一れつせかゑぢう
つれてゞたならひとりでけるで  一〇 32

人衆を集め、つとめの手振りを教えて、世界中へ連れて出たならば、自らかんろだいも出来て来る、と、つとめの完成を急ぐ上から、人衆揃えに併せて手振りの稽古を急がれ、

これさいかたしかにでけた事ならば
月々つとめちがう事なし  一〇 33

つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたゑもちがう事なし  一〇 34

このみちハまことしんぢつむつかしい
みちであるぞやみなしやんせよ  一〇 35

かんろだいさえ据わったならば、月々のつとめも間違いなく勤める事が出来るようになる。つとめを確り勤めるならば、天のあたえにも決して間違いはない。心さえ定まったならば、どのような守護も願のままである、と請け合われた。

この人ぢうどこにあるやらしろまいな
月日みわけてみなひきよせる  一〇 36

どのよふなところのものとゆうたとて
月日ぢうよふしてみせるでな  一〇 37

だん/\と人ぢうそろふたそのゆへで
しんぢつをみてやくわりをする  一〇 38

やくハりもどふゆう事であるならば
かぐら十人あといなりもの  一〇 39

これさいかはやくしいかりそろたなら
どんな事でもでけん事なし  一〇 40

このつとめ人衆が、何処に居るのか、皆の者には分らないであろうが、どのような所に居ても、親神は、自由自在に引き寄せる。だんだんと人衆が揃うたその上で、心の真実を見定めて役割をする。かぐら十人を初め、鳴物の人衆が揃うたならば、どんな事でも出来ないという事はない、と、つとめの完成の上に、自由自在の守護を引き受けられた。

第十三号に入ると、

月日よりしんぢつをもう高山の
たゝかいさいかをさめたるなら  一三 50

このもよふどふしたならばをさまろふ
よふきづとめにでたる事なら  一三 51

この心たれがゆうとハをもうなよ
月日の心ばかりなるぞや  一三 52

このつとめ高山にてハむつかしい
神がしいかりひきうけをする  一三 53

このたびわどんな事でもしんちつに
たしかうけやいはたらきをする  一三 54

親神は、心の底から戦の治まりを望む。戦は、傲り高ぶる人間心から起る。いかにもして、戦をこの世から無くしたいとの思いから、親神は、かんろだいのつとめを始める。かんろだいのつとめは、世界平和のつとめである。しかも子供たる人間は、親神のこの真実を知らずして、徒らに差止める。しかし、迫害も干渉も少しも恐れることはない。親神は、確かに引き受けて自由自在の守護を現わす、と教えられた。

第十四号に入ると、

この事ハなにの事やとをもうなよ
つとめなりものはやくほしいで  一四 85

もふけふわどんな事をばしたとても
なにもあんぢなをやのうけやい  一四 86

いまゝでハ上にわなにもしらんから
さしとめはかりいけんしたれと  一四 87

このたびハどんなものでもかなハんで
ゆう心ならをやがしりぞく  一四 88

この事をはやく心しいかりと
さだめをつけてはやくかゝれよ  一四 89

なにもかもはやくつとめのしこしらへ
をやのうけやいこわみないぞや  一四 90

これをはな心さだめてしやんして
はやくにんぢうのもよふいそぐで  一四 91

はや/\と心そろをてしいかりと
つとめするならせかいをさまる  一四 92

一日も早く鳴物を揃えるようにと急込まれ、人衆揃えの急込みをも続けつつ、どのような迫害にも怖じず恐れない強い信念、堅く揺がぬ誠真実の心を定めよ、この堅い心定めの上に、親神は、自由自在の守護を請け合う、早々と心を合わせ手を揃えて勤めるならば、必ず世界の治まりを守護する、と、かんろだいのつとめによって、世界の平和を引き受けられた。

更に、第十五号には、

このはなしなにを月日がゆうたとて
どんな事てもそむきなきよふ  一五 26

これからのをやのたのみハこればかり
ほかなる事わなにもゆハんで  一五 27

この事をなにをたのむとをもうかな
つとめ一ぢよの事ばかりやで  一五 28

このつとめこれがこのよのはぢまりや
これさいかのた事であるなら  一五 29

さあけふハをやのゆう事なに事も
そはの心にそむきなきよふ  一五 30

親の頼みという言葉を用いて、切々たる親心の急込みを述べられ、このつとめによって陽気ぐらしの世界が創造されるのであるから、どうでも親の言葉に背かぬよう、親の心に違わぬよう、早くつとめをして貰いたい、と、懇々と諭された。つづいて、

けふの日ハほんしんちつをゆいかける
とふぞしいかりしよちしてくれ  一五 49

このはなし四十三ねんいせんから
ゑらいためしがこれが一ちよ  一五 50

このためしなにの事やとをもうかな
つとめ一ぢよせくもよふやで  一五 51

このつとめどふゆう事にをもうかな
なりもの入て人ちうのもよふ  一五 52

このつとめどんなものでもしやんせよ
これとめたならわがみとまるで  一五 53

このよふをはじめかけたもをなぢ事
ないにんけんをはちめかけたで  一五 54

これさいかはじめかけたる事ならば
とんなたすけもみなうけやうで  一五 55

今こそ、親心の本真実を言い聞かせる。どうか心を鎮めて確りと聞いて貰いたい。四十三年以前からためしをかけて急込んで来たのは、つとめである。そのつとめの時が迫って来たから、早く、鳴物や人衆を揃える段取をせよ。もしも、つとめを止めるならば、その者の息の根が止まって了う。親神は、紋型無いところから、人間を創めたと同じく、このつとめによって、どのようなたすけも皆引き受ける、と諭して、いよいよ激しく厳しく、つとめを促された。つづいて、

さあたのむなにをたのむとをもうかな
はやくなりものよせてけいこふ  一五 72

これまてハとんな事てもちいくりと
またをさまりていたるなれども  一五 73

もふけふわなんてもかでもはや/\と
つとめせゑねばならん事やで  一五 74

と、特に鳴物の稽古を急込んで、もう今日は、どうでもこうでも、つとめをせねばならぬ時が来て居ると、促され、更に、

このみちハ四十三ねんいせんから
まことなんぢうなみちをとふりた  一五 83

その事をいまゝでたれもしらいでも
このたびこれをみなはらすでな  一五 84

このはらしどふしてはらす事ならば
つとめ一ぢよてみなあらハすで  一五 85

このつとめをやがなに事ゆうたとて
とんな事てもそむきなきよふ  一五 86

こればかりくれ/\たのみをくほとに
あとでこふくハいなきよふにやで  一五 87

このたびのつとめ一ちよとめるなら
みよだいなりとすぐにしりぞく  一五 88

このはなしなんとをもふてそはなもの
もふひといきもまちていられん  一五 89

はや/\となりものなりとたしかけよ
つとめはかりをせへているから  一五 90

迫りに迫った親心の急込みの程を、諄々としかも切々と、時には厳しく、時には懇ろに書き誌し教え諭して、人々の心の成人を促し、時旬に遅れないようつとめを行えと急込まれた。

第十六号に入ると、かぐらの理の根本に遡って、

いまゝてハこのよはじめたにんけんの
もとなる事をたれもしろまい   一六 1

このたびわこのもとなるをしいかりと
とふぞせかいゑみなをしゑたい  一六 2

このもとハかぐらりよにんつとめハな
これがしんぢつこのよはしまり  一六 3

このたひのかぐらとゆうハにんけんを
はじめかけたるをやであるぞや  一六 4

人間創造の根本の理は、かぐら両人によって現わされて居る。この両人は、親神の理を受けて勤めるものであり、このかぐらに、人間創造の真実の親たる親神・天理王命の理がこもる、と教えられた。つづいて、

このさきハとのよなゆめをみるやらな
もんくかハりて心いさむで  一六 27

とのよふなめづらしゆめをみるやらな
これをあいつにつとめにかゝれ  一六 28

迫りに迫った時旬と、子を思うゆえに急ぎに急がれる親心から、珍らしい夢を見たならば、その夢を合図に、つとめにかかれと、夢に迄急込んで、早くつとめをせよ、と諭され、

月日よりないにんけんやないせかい
はじめかけたるをやであるぞや  一六 53

そのところなにもしらざる子共にな
たいことめられこのさねんみよ  一六 54

と、親心の真実を悟らない子供の妨げを責められた上、

月日よりせかいぢうをばはたらけば
このをさめかたたれもしろまい  一六 63

それゆへにこのしづめかた一寸しらす
一れつはやくしやんするよふ  一六 64

つとめてもほかの事とわをもうなよ
たすけたいのが一ちよばかりで  一六 65

それしらすみなたれにてもたん/\と
なんどあしきのよふにをもふて  一六 66

にんけんハあざないものてあるからな
なにをゆうともしんをしらすに  一六 67

けふまてわとんな事てもゆハなんだ
ぢいとしていたこのさねんみよ  一六 68

親神の残念立腹が現われて来たならば、これを治める道は、つとめより他にはない。つとめこそ、どのような異変、どのような災難をも治める唯一の道である。然るに、これを差止め、又、躊躇うて来た人間心の浅はかさは、まことにもどかしい限りである、と、強く人々の反省を促して、つとめを急込まれた。

このように、生涯を一貫し、おふでさき全巻を通じて、つとめを急込み続けられた教祖の御立場を、理の上からと、お姿の上からと、この両面から詳しく拝察しよう。

教祖は一面に於いて、月日のやしろとして理を説かれた。しかも、他の半面に於いては、地上に於ける親として、人々によく分るようにとて、自らの身に行い、自ら歩んで人々を導かれた。共に、真実の親たる教祖の御立場である。

どのよふなたいしや高山ゆたんしな
なんとき月日とんてゞるやら  六 92

時が迫り切ったから、もう月日が飛び出る、と、仰せられて居るかと思えば、

いまゝでハせかいぢううハ一れつに
めゑ/\しやんをしてわいれども  一二 89

なさけないとのよにしやんしたとても
人をたすける心ないので  一二 90

これからハ月日たのみや一れつわ
心しいかりいれかゑてくれ  一二 91

この心どふゆう事であるならば
せかいたすける一ちよばかりを  一二 92

このさきハせかいぢううハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら  一二 93

月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけもするとをもゑよ  一二 94

どうか、一列人間は確りと心を入替えて、たすけ一条の心に成って貰いたい。人間が、互に立て合い扶け合う心にさえなったならば、親神は、どのようなたすけをも引き受ける。と、優しく懇ろに切々と、一列人間の心の入替えを促され、尚も、

いまゝでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ  一七 14

しんぢつに心すきやかいれかゑば
それも月日がすぐにうけとる  一七 15

決して見捨てるのではない。心さえ入替えたならば、一夜の間にも救ける、と、心の入替えを急込みつつ、尽きぬ親心を誌されて居る。

本来、親神と、その思召のままに創られた人間とは、親子であって、決して、縁もゆかりもない間柄ではない。しかし、心の自由を与えられた人間は、長の年限の間に、我が身勝手な心遣いをして、ほこりを積み重ねて来た。この人間思案と、終始変らぬ月日の心との間には、一見、縁のない間柄と思われそうな隔たりが感ぜられるようになった。その結果、容易には親の声を理解出来難い、人間世界となって居るのが、現状である。
かかる中にあって、親神の思召を人間に伝え、陽気ぐらしへと導く教祖の御立場は、察するに余りある。

おふでさきには、月日親神の思召のまゝに、胸のほこりを掃除して、親子心一つにつながる明るい陽気な生活へと、一歩一歩と人々を救け導かれた、なみなみならぬ教祖の御立場が拝される。こゝにひながたの親と仰ぐ教祖の親心が偲ばれる。

かくて、教祖は、つとめの完成を急込み、その根本の理を諭す上から、元初まりの理を、人々の心の成人に応じて、理解し易いように、順序よく述べられた。

まず第三号には、

このよふのにんけんはじめもとの神
たれもしりたるものハあるまい  三 15

どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ
それがたん/\さかんなるぞや  三 16

と、初めて人間世界の創造について誌され、

つづく第四号には、

にんけんをはじめだしたるやしきなり
そのいんねんであまくたりたで  四 55

このよふのはぢまりだしハとろのうみ
そのなかよりもどちよばかりや  四 122

このどぢよなにの事やとをもている
これにんけんのたねであるそや  四 123

このものを神がひきあけくてしもて
だん/\しゆごふにんけんとなし  四 124

それよりも神のしゆことゆうものわ
なみたいていな事でないぞや  四 125

このはなし一寸の事やとをもうなよ
せかい一れつたすけたいから  四 126

と、一列人間を救けたい親心から、人間世界の創造について啓示げられ、第六号に於いて、つとめの理を納得させようとの思召から、元初まりの理に遡り、

いまゝてにない事ばかりゆいかけて
よろづたすけのつとめをしへる 六 29

このつとめ十人にんぢうそのなかに
もとはぢまりのをやがいるなり  六 30

いざなぎといざなみいとをひきよせて
にんけんはぢめしゆごをしゑた  六 31

このもとハどろうみなかにうをとみと
それひきだしてふう/\はちめた  六 32

と、十人のつとめ人衆の元の理を明かし、

このよふの元はじまりハとろのうみ
そのなかよりもどぢよばかりや  六 33

うちにうをとみいとがまちりいる
よくみすませばにんけんのかを 六 34

それをみてをもいついたハしんぢつの
月日の心ばかりなるそや  六 35

このものにどふくをよせてたん/\と
しゆこふをしゑた事であるなら  六 36

このどふくくにさづちいと月よみと
これみのうちゑしこみたるなら 六 37

くもよみとかしこねへとをふとのべ
たいしよく天とよせた事なら六 38

それからハたしかせかいを初よと
神のそふだんしまりついたり六 39

これからわ神のしゆごとゆうものハ
なみたいていな事でないそや六 40

この世の元初まりは、泥海で、月日親神が居たばかりである。さて、親神が思うには、このような泥海の中に親神が居るだけでは、まことに味気ない。そこで、人間というものを拵えて、その陽気ぐらしをするのを見て親神も共に楽しもう、と思い立った。

かくて、泥海中を見澄まし、先ずうをとみとを見出して、これを引き寄せ、一すじ心なるを見澄ました上、最初に産み下ろす子数の年限が経ったならば、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさして貰い受け、更に、次々と道具に使うものを見出して呼び寄せ、それぞれ承知をさして貰い受け、喰べてその心味わいを試した上、これを雛型や道具として、人間を創造し、その理によりそれぞれに神名を授けた、と教えられた。

にんけんをはぢめかけたハうをとみと
これなわしろとたねにはじめて  六 44

このものに月日たいない入こんで
たん/\しゆごをしゑこんだで  六 45

このこかす九をく九まんに九せん人
九百九十に九人なるそや  六 46

この人を三か三よさにやどしこみ
三ねん三月とゝまりていた  六 47

それよりもむまれたしたハ五分からや
五分五分としてせへぢんをした  六 48

このものに一どをしゑたこのしゆごふ
をなぢたいない三どやどりた  六 49

うをにしやちを仕込み、月様の心入り込んで男雛型・種とし、みにかめを仕込み、日様の心入り込んで女雛型・苗代として、泥海中のどぢよを皆食べて、その心根を味わい、これをたねとして、元のぢばで三日三夜のうちに、九億九万九千九百九十九人の子数を宿し込み、母親は元のやしきに三年三月とどまった上、七十五日かかって子数を悉く産み下ろした。最初に生れたものは五分であったが、五分五分と成人して九十九年かかって三寸となり、三度生れ更って、三寸五分と成り四寸と成った時、皆出直して了うた。

その後は、親神の守護のまにまに、虫、鳥、畜類と八千八度の更生を経て、又、皆出直した後に、めざるが一匹残った。その胎内に、男五人女五人と十人宛宿り、五分から生れ、五分五分と成人して、八寸、一尺八寸、三尺となるうちに、泥海中に高低が出来かけ、次第にかたまり、五尺の人間と成った時に、天地海山悉く出来上り、空には日月が輝き、人は皆、食物を求めて泳ぎ廻った海中から、最寄りの陸に上がって棲む事となった。これまでの九億九万年が水中の住居である。

陸に上がってから、六千年は智恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みを受けるうちに、旬刻限が到来して、元の理を明かす日が来た、とて、だめの教を創める所以を説かれ、

このよふをはぢめだしたるやしきなり
にんけんはじめもとのをやなり  六 55

月日よりそれをみすましあまくだり
なにかよろづをしらしたいから  六 56

かく教えるをやの魂は、人間創造の母胎としてのいんねんある魂、この所は人間創造の元のやしきである。親神は、これを見澄ました上、旬刻限の到来を待って、初めて直々この世の表に現われて出た、と、世界たすけのだめの教を創める根本の理を明かされた。

第十一号に入ると、元の理に基いて、この度世界たすけの道を創める所以を述べられ、

このよふのはじまりたしハやまとにて
やまべこふりのしよやしきなり  一一 69

そのうちになかやまうぢとゆうやしき
にんけんはじめどふくみへるで  一一 70

このどふぐいざなぎいゝといざなみと
くにさづちいと月よみとなり  一一 71

月日よりそれをみすましあまくたり
なにかよろづをしこむもよふを  一一 72

元のやしきは中山氏と呼び、大和国山辺郡庄屋敷村にあり、つとめ人衆に任される理のある方が住んで居る。親神は、これを見澄まし天降り、よろづ委細を仕込まれるのである。

つづいて、第十二号には、

このやしきにんけんはじめどふぐハな

いざなぎいゝといざなみとなり  一二 142

月よみとくにさづちいとくもよみと
かしこねへとが一のとふぐや  一二 143

それよりもをふとのべへとゆうのハな
これわりゆけの一のどふくや  一二 144

つきなるハたいしよく天とゆうのハな
これわせかいのはさみなるぞや  一二 145

と、元の道具衆の神名を挙げて、その理のつとめ人衆につらなるを教え、第十四号には、

せかいぢうどこの人でもをなぢ事
いつむばかりの心なれとも  一四 23

これからハ心しいかりいれかへて
よふきづくめの心なるよふ  一四 24

月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから  一四 25

陽気ぐらしこそ、人間世界創造の本旨なりと明かされ、第十六号に進んで、

このよふのにんけんはじめ元なるを
どこの人でもまだしろまいな  一六 10

このたびハこのしんちつをせかへぢうへ
どふぞしいかりみなをしゑたい  一六 11

しかときけこのもとなるとゆうのハな
くにとこたちにをもたりさまや  一六 12

このをかたどろみづなかをみすまして
うをとみいとをそばいひきよせ  一六 13

特に月日親神の神名に、さまを加えて、月日と道具衆との理の一段と隔たることを示し、月日こそ、真実の親なりと教えられて居る点にも、親心ゆえの篤い配慮が窺われる。

さて、第十七号に入ると、その初めから、

いまゝでハなんのみちやらしれなんだ
けふからさきハみちがわかるで  一七 1

このみちハどふゆう事にをもうかな
かんろふたいのいちじよの事  一七 2

このだいをどふゆう事にをもている
これハにほんの一のたからや  一七 3

これをばななんとをもふてみなのもの
このもとなるをたれしろまい  一七 4

このたびハこのもとなるをしんぢつに
とふぞせかいゑみなをしへたい  一七 5

このもとハいさなきいゝといざなみの
みのうちよりのほんまんなかや  一七 6

そのとこでせかいぢううのにんけんわ
みなそのぢばではじめかけたで  一七 7

そのぢばハせかい一れつとこまても
これハにほんのこきよなるぞや  一七 8

にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや  一七 9

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし  一七 10

それまでにせかいぢううをとこまでも
むねのそふぢをせねばならんで  一七 11

このそふぢとこにへだてハないほとに
月日みハけているとをもゑよ  一七 12

月日にハどんなところにいるものも
心しだいにみなうけとるで  一七 13

親神は、ひたすらにかんろだいの完成を急込む。かんろだいのぢばは、この世元初まりに、人間を宿し込んだ所、世界人類の故郷である。この元のいんねんが有る故に、人間創造の証拠として、この所に、かんろだいを据えて置く。かんろだいが出来上りさえしたならば、どのような願もかなわぬという事はない。かんろだいを一日も早くと思えばこそ、先ず、人間の胸の掃除、心の入替えを促し、心定めを急込む。心さえ入替えたならば、直ぐと鮮やかな守護を現わす、と、つとめの目標たるかんろだいの理を明らかに教え、併せて親神の自由自在の守護の理を、誌されて居る。

いまゝでハこのよはしめたにんけんの
もとなるぢばわたれもしらんで  一七 34

このたびハこのしんちつをせかへちうゑ
どふぞしいかりをしゑたいから  一七 35

それゆへにかんろふたいをはじめたわ
ほんもとなるのところなるのや  一七 36

こんな事はじめかけるとゆうのもな
せかいぢううをたすけたいから  一七 37

今迄、誰一人として知った者も無い、人間世界創造の元のぢばを、確り教えたいゆえに、かんろだいを創められた。全くこれは、何でもどうでも、世界中を救けたいとの、一条の親心ゆえに外ならぬ。

更に、深い親心から、月日のやしろにそなわる天理王命の神名を、末代かわらぬ元なるぢばに授け、いついつ迄も動ぎ無い信仰のめどを、明らかに教え示された。

尚又、みちに譬え、ふしんに譬え、よふぼく、そふぢ、ほふけその他、数々の譬諭を用いて理を諭されて居る。それは、言うまでもなく、分り易いようにとの配慮からであるが、同時に、そこには、現実の人間生活を、一日も早く陽気ぐらしへ導きたい、との親心が窺われる。

号を追うて、神・月日・をやと、親神の称名を替えられたのも、成人に応じて、月日親神の理を、知らず知らずの間に会得せしめようとの親心からである。

 このように、月日のやしろとして、親神の思召を伝えられると共に、これを実地に踏み行うて、一列人間に、陽気ぐらしのひながたを示された。

難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。

(明治22・11・7刻限)

我々は、このひながたに、明るく暖かく涯知らぬたすけ一条の親心を拝する。この親心こそ月日の心である。

とのよふな事をするのもみな月日
しんぢつよりのたすけ一ぢよ  六 130

註一 右の年月は表紙に記された年月で、明治七年以降は陽暦と推定される。

 明治七年一月一日は陰暦では、六年十一月十三日にあたる。

 第十二号、第十三号及び第十七号の表紙には、年月の記載がない。

従って推定により、それぞれ明治九年頃、明治十年頃、明治十五年頃と記す。