立教185年8月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

新型コロナウィルス感染も一旦収束に向かったかに思われましたが、ここにきて感染者が激増して医療現場が逼迫(ひっぱく)しています。

又食料品や電気などの生活必需品の値上がりによる家計の圧迫によって、多くの人々が先行きへの不安の中での暮らしを余儀なくされています。

しかし、私達ようぼくには「教祖のひながた」という絶対的な拠り所がありますので、どんな中もぶれることなく親神様の思召しである陽気ぐらし実現に向かって、  使命感をもってかつ安心の中で人だすけに邁進させて頂くという幸せを味合わせて頂いております

その中にあって、先月には、本年一回目のおぢばへの仕切りを、当教会につながる一同の真実を結集して有難く年頭心定め以上の運びをさせて頂くことができました。

今後は、十月の天浦成人理立、そして来年からの教祖百四十年祭活動を目標に、自らの信仰信念の確立を期して、にをいがけ、ようぼく・中席者の丹精、次代を担う人材の育成、そして教理の研鑽に務めさせて頂きましょう。

今月も何卒、よろしくお願い申し上げます。

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者7名

八生兵庫隊ミニこどもおぢばがえり

少 年 会 員11名
育 成 会 員13名
参 加 総 数24名

翼をひろげて

R182,8,30朝席・R183,2,24団参バス車中順子奥様のおはなし

余命2ケ月の末期がん

私の実家(村橋家)の母は、余命2か月と宣告され、末期がんを修養科を通して、十数年命を長らえさせて頂きました

そして最期は子供や孫に囲まれて安らかに神様のもとへ帰っていきました。         

けれども本来ならそんな安らかな運命を辿れるような私共の家系ではありません。

その母のたすかりの姿を通して、天理教の信仰のお陰で運命の方向を大きく変えて頂いたなぁと実感致しました。

お道とのかすかなご縁

ではこのようなたすかりのもとは一体どこから来てるのかなぁと考えてみると、お道と村橋家には非常に(かす)かなご縁があったのです。

それは母が未だ幼い頃に、貧しいなりをした天理教の布教師さんが家に訪ねて来られたそうです。

「明日は月次祭というおまつりなんです。どうか何でも結構ですので、親神様にお供えをして頂けませんか?。」

その当時私の曾祖母は子沢山の大変な暮らしの中でありましたが、その布教師さんのかもし出す誠真実に胸を打たれて、わずかな額のお供え(金)とおみかんの一袋をその方にお渡ししたのです。

その後も毎月訪ねて来る度に、何かしらその方にお供えを預けたそうです。

一粒万倍の種まき

考えてみますと、曾祖母のそのわずかなつなぎの真実を神様がお受け取り下さり、80年の時を経てそのたった一袋のおみかんが…そのたった一盛りのおりんごが…その曾孫(ひまご)の代になって、私は教会長夫人、姉は教会長とそれぞれが人をたすける道を選ばせて頂くような素晴らしい運命につないで下さったのだと感じます。

もしあの時、曾祖母が、「そんなお供えなんて出来ません・・・帰ってちょうだい!」とその布教師さんを追い返していたなら、恐らくいまの私たちの幸せな運命はなかったと思います。

神様に捧げさせて頂いた真心は、末代にわたって一粒万倍の種です

天浦のどん底時代

(昭和29年)当時5才の姉と産まれたばかりの0才の私は、両親と共に天浦分教会に住み込んでいました。

その頃、木下寿美子先生は親の声一つで出来たばかりの教会を売り、大教会に丸ごと尽くされました。

先生が親の声を丸ごと受けて、一体どうなったのか 、、、

それは大勢いた住み込みが解散となり、裸一貫からのどん底の生活が始まったのです。それまで住み込んでいた者はちょっとでも親孝行したい上から、教会が早く再建できるようお尽くしをしようという相談があり、それぞれが世間で商売を始め、私の両親も教会に尽くそうという心で仕事をし、皆そのつもりでいたと思います。

「尽くせば救かる!」

住み込みが解散となり、世間働きを始めたその直後のことです。

私の姉が、片足首がブランブランになるような大きな交通事故に遭いました。

私の祖母が必死の思いで今の貨幣価値で一千万円のお尽くしを心定めした時、見事に姉の足首が奇跡的に繋がりました。 

祖母はそのお尽くしの鮮やかな体験から、生涯尽くしたら救かる!」という信念で、何か事情や病気が出たときには、親に運ぶというきわめて単純なご利益中心の信仰であったように思います。

“油断と甘え”そして破綻

その後、姉の事故の慰謝料で大きなお金が入って来ます。

両親はそれを尽くせばよかったのですが、そこで借家を借りて美容業 (神戸市灘区大石)を始めたのです。

もちろん最初はその稼いだお金を教会に尽くそうと思って、商売を始めたはずでしたが、人間というものは誠にあざないもので、商売が軌道に乗り日銭が入るとだんだんと衣食住が贅沢になります・・・

すると私の両親共に「油断と甘え」が出て、その頃から贅沢と遊びを重ねる中に、やがて夫婦の仲は破綻し、たった8年で崩壊の一途を辿りました。

住み込み解散から、長男夫婦が別れ、商売もアウト・一家離散

これは決して村橋の家だけではなく、その頃熱心に信仰し、住み込んでいた殆どの家々が、世間で大変な状態になったのです。

長い遠回りのような道中

これを客観的に考えてみれば、先生が教会を売りさえしなければこんなことにはならなかったのに、 親の声をきいて尽くして裸になって、一体どういうことか!?

人間の目からみれば、約20年間はいんねんに(ほん)(ろう)された崩壊の道中でしかなかったでしょう。

まさに長い遠回りのような道中を辿ったのです。

成程という日

しかし、教祖伝にも「二十年三十年経ったなれば、皆の者成程と思う日が来る程に。」というお言葉があるように、ちょうど先生が教会を売って、どん底に落ちきられて20年経ったときに、何が出てきたのでしょうか ?

村橋の家でいえば、私と姉の心に「このままではいけない!どうでも教会に住み込もう!」という強い感情が芽生え、はからずも共に道一条に飛び込むことになるんですから、理とは凄いものですね。

当時、私と姉はそれぞれ東京と京都にいて、お互いに全く相談もしなければ、誰から何を言われた訳でもありませんが、結果として、 同時に先生のもとへ行くこととなりました。

寿美子先生に宛てた長い手紙 

私はただ元の場所へ、幼くして住み込んでいた天浦分教会という寿美子先生のもとへ帰っただけなんです。

その時本当に辛くて、何も分かっていない私は、東京の青山から神戸の先生に宛てた長い長い手紙を書かせて頂いたことを今でも覚えています。

「先生・・・これは行くのでなく、帰るのです!私はそう思うんです!

40年を経て二つの教会

当時、先生の実家である西村家も商売商売で、とてもじゃないけれど、道一条に出るという人など誰もいない状態でした。

しかし、その後、先生のご実家である西村家を信仰の上で動かせていく道具として、私は西村家へ嫁ぐこととなります。  

先生が教会を売って尽くして40年。

こうして二つの教会が建ち上がりました。 

今思い返せば、先生が裸になって親に尽くされたその時、生まれた住み込みの子供の魂に、途轍もない大きな理を頂いていたのです。

そして“いま”があるのです。

月間よろこびスケジュール

日   程                               日  付行    事時   間
8月3日(水)     八生兵庫 婦人の集い/女鳴物練習 【別席団参①】10:00 神殿集合
 4日(木)天浦 霊祭10:00執行
  7日(日)  <西区布教>    9:30神殿集合
10日(水)天浦分教会月次祭 前日ひのきしん13:00 集合(天浦神殿)
11日(祝) 日()日( 土)天浦 月次祭10:00執行
12日(金) 日()日( 土)名田 月次祭 /<西宮布教>10:00執行/9:30神殿集合
   14日(日)<兵庫布教>    10:00 神殿集合 兵庫9:00発
15日(月)琴緒 月次祭11:00 執行
16日(火)   <松山布教>      5:30兵庫発
17日(水)   <中央区布教>      9:30神殿集合
18日(水)八生兵庫 霊祭 10:00執行
20日(金)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
21日(日)兵神月次祭前々日ひのきしん/八生兵庫 喜竜会9:00大教会神殿/14:00~
22日(月)<垂水布教>9:30神殿集合
23日(火)兵神 月次祭/八生兵庫 女子会  <10:00執行>/13:00
26日(金)御本部月次祭 <遥拝式> <10:00執行>
29日(月)≪八生兵庫☆8月別席団参≫9:00 兵庫出発
9月 1日(木)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん 
2日(金)八生兵庫 月次祭/青の思案場10:00執行 / 18:00~