若き天理教の布教師!布教の家の卒寮生の声!

布教の家 大阪寮に入寮

私は三年前に、天浦分教会の会長様・奥様の大きな親心を頂き、布教の家 大阪寮に入寮させて頂きました。

布教の家の初日は、OBの方に大阪の街を案内して頂き、二日目はお昼から一人で布教に廻らせて頂きました。

歩いている方にどんどん声かけをさせて頂いていると、ネパールの若い男性と、20才の男性が、大阪の教務支庁に初参拝して下さいました。

とても嬉しくて、教祖が「これからしっかり頑張りなさい!」とご褒美を下さったように思いました。

毎月の目標

大阪寮では2日に1度、育成委員の先生とミーティングをさせて頂き、先生方からいつも単独布教のお話やおたすけされたお話を聞かせて頂きました。

また、寮生で毎月目標を考え、5月の目標は、「おさづけを500人の方に取り次がせて頂こう!」と決まりましたので、私は「毎日10人の方におさづけを取り次がせて頂こう!」と心定めをしました。

「どうすれば、こんなにたくさんの方に取り次がせて頂けるだろう?」と考えた時に、いつも天浦の会長様・奥様から、

「無になって歩く。自分の思いを捨て、教祖におすがりして歩くこと」 

この言葉が思いうかび、ひたすらに教祖におすがりする思いで理づくりをさせて頂きました。

目標達成に向かって

そして初日、緊張した心で布教に歩かせて頂きました。

個別訪問の中で、

「私は、命のないところを天理教でたすけて頂きました。どうか、おさづけという病気たすけのお祈りをさせて頂けないでしょうか?」

とお伝えすると、「あー、じゃあ腰が痛むので腰に」と言われ、ありがたくおさづけを取り次がせて頂けました。

しかし、なかなか一日でおさづけの目標に達することはできませんでした。

育成委員の先生のお言葉

やっとの思いで9人の方におさづけを取り次がせて頂けた日、雨も降ってきて、もう時間もあまりないので、今日は帰ろうと思いましたが、いつも育成委員の先生が、

「もう一軒、もう一声、最後まであきらめずに頑張ろう

と、いつもお話下さっていたので、最後10分間、頑張らせて頂きました。

駅前に、自転車にまたがっておられる御夫人さんがおられ、おさづけのお話をさせて頂くと、「お祈りして頂けるんですか?」と笑顔で答えて下さいました。

その方はそれから毎月、教祖の働きを頂き、別席を運んで下さいました。

1人前の天理教の布教師へ!全国の布教の家を紹介!

年に4回のおぢばがえり団参

大阪寮では年に4回、おぢばがえり団参を取り組ませて頂きました。

その2回目の団参の前に1人の寮生が、この団参に向けての一か月で、「十万人の方に声かけをしてみませんか?」と意見が出ました。

本当にたくさんの意見が飛び交いましたが、最後には全員が勇みに勇みたって、布教に廻らせて頂きました。

1日2000人に声かけ

心定めて初日、二千人の方に声をかけさせて頂こうと、天王寺駅でひたすらに声かけをさせて頂きました。

10:22お昼を過ぎ三時頃、活舌がおかしくなってきて、足もふらついてきましたが、なんとか、二千人の方に声をかけさせて頂けました。

しかし、とても達成感はあったのですが、チラシはほとんど受け取ってもらえませんでした。

天浦分教会の奥様のお言葉

そして次の日も、いつものように声かけをさせて頂きましたが、昨日と一緒でなかなかチラシを受け取ってくださいません。

どうしたらいいんだろうと思ったとき、いつも、天浦分教会の奥様が

「もう10センチ、もう20センチ、頭をさげさせて頂きましょう。」

と言われていたことを思い出し、いつも以上に頭を下げて声かけをさせて頂きました。

その行い一つで、あっという間に、たくさんの方にチラシを配らせて頂き、帰る間際、ありがたく、大学生の男性が団参のお約束をして下さいました。

団参に22名の方が!

「声をかけるのが苦手なんです」と言っていた寮生も「二千人声かけさせて頂きました!」と言っている姿に、寮生皆で、喜び合いました。

そして当日、緊張しながらお約束してる方を迎えに行かせて頂きました。

すると、次々とお約束していた方が集まり、22名の方が来てくださいました。

本当にうれしくありがたい思いで、おぢばに帰らせて頂きました。

この時の喜び、また、一丸となって10万人の方に声をかけさせて頂き、皆で喜び合ったことは、今でも鮮明に覚えております。

【Part2】若き天理教の布教師!布教の家の卒寮生の声!

父の身上

ある日、母から電話があり、父が二日前から肺炎で入院し、いつ亡くなってもおかしくない状態という事でした。

寮の先生の親心頂き、病院に行かせて頂いて父の姿を見ると、とてもつらい思いにもなりましたが、今まで血液の病気に始まり、たくさんの病気をたすけて頂いてきたので、ここまでおいて頂いただけでも、本当に良かったなという思いでありました。

「いんねんは切れない」

話は遡りますが、僕の家族は平成4年に、4才上の姉が小児がんになったことをきっかけに天浦分教会に住み込ませて頂きました。

天浦分教会を創設された、二代会長木下寿美子先生より、

「森谷さん家は病気になったら、命にかかわる大病だから、病院と医療では気が楽だろうが、いんねんは切れない」

と、お話を頂きました。

それから父は仕事をしながら布教に、母は布教に歩き、お導き頂きました。

父は、それから血液の病気に始まり、たくさんの病気が発症しましたが、今はおかげ様で無事に過ごさせて頂いております。

元一日を忘れてはいけない

また、布教所の祭文に、

「この道に引き寄せて頂かなかったら、今頃どんな人生を歩んでいるのか分からないお互いであることをしっかりと自覚し」

といつも聞かせて頂きますが、改めて、「元一日を忘れてはいけないなぁ、まだまだ、いんねんの自覚は出来てないなぁ、どれだけ、大難を小難にして頂いているのかも、分かってない自分なんだなぁ」と深く思わせて頂きました。

大阪寮での一年間

大阪寮での一年間は、会長様・奥様に本当に大きな親心頂き、勇み心を頂きました。

大阪寮の先生方には、ミーティングだけでなく、いつもいろいろな話を聞いて頂き、励まして頂きました。

寮生のみんなとは、夜遅くまで語り合ったり、一丸となって団参に向けて頑張った事、体調崩した時、とても心かけてくれた事、本当に皆さんのおかげで、楽しく充実した一年を過ごす事ができました。

大阪寮で学ばせて頂いた事、たすけて頂いた事を忘れず、これからも精一杯御恩報じに努めさせて頂きます。