天理教人名辞典 山中忠三郎 やまなかちゅうざぶろう

山中忠三郎 やまなかちゅうざぶろう

金剛山地福寺の配下として転輪王講社を結成したときに協力した乙木村(現、天理市乙木町)の人(『稿本天理教教祖伝』148頁)。

忠三郎は金剛山地福寺の日参講に関係があったという。

明治13年(1880)9月「開演式献備物控帳」の「取換証」のところに、「一、弐円取噯人 山中忠三郎 尤久留野行、小使渡ス。 一、壱円七十銭 右同断 中山相渡ス」と名前が見え、地福寺との橋渡しをしたことがうかがえる。

ただし、転輪王講社名簿には名前がない。

明治15年、教祖(おやさま)が拘引された後に、忠三郎も10日間拘引されたという(『稿本天理教教祖伝』245頁)。

詳しい人物像は不詳。