今回は、高校の友人でもあり、喜び勇んでブログの管理人から委託されたので、記事を投稿していきたいと思います。
天理教との馴れ初め
自分は七人兄弟の末っ子として生まれてきました。
自分が生まれる前から、父親も母親も天理教を信仰しておりました。
父親は自分が生まれた頃に、高血圧が原因で脳の神経が切れて、左半身麻痺になり、寝たきりの生活を送っていました。
父親のギャンブル好きで、、、
父親は無類のギャンブル好きで、その中でも特に競馬が好きだったそうです。
母親は、この父親のギャンブル好きに、度々頭を抱えていたそうです。
半身麻痺になる前は、自分のお小遣いの範囲で競馬を楽しんでいたのですが、ある日、帰ってきた父親は母親に向かって、
「おい!競馬で月に100万円稼げる方法が分かったぞ!」
この一言を言った数日後に半身麻痺になりました。
天理教の家庭に生まれて良かった!
母親は、「これは親神様が身上を父親に見せて、ギャンブルをできないようにしてくれたんだな。」と、言っていました。
母親のこの言葉を聞いて、自分は母親が天理教の家庭に生まれてきて本当に良かったと思いました。
天理教に嫌悪感を抱く
そんな僕も小学生になり、ともだちと遊ぶ楽しさが大きくなってきました。
そんな中で最も嫌いだったのが鼓笛の練習でした。
その当時の鼓笛は、土日のどちらかが練習日になり、一日潰れたのです。
その為に友達と遊びに行けなくて、初めて天理教が嫌だと思った最初の出来事でした。
布教の家との出会い
中学を卒業し、高校は天理高校第二部に通いました。
高校卒業後は、実家に帰って働く気満々でしたが、母親から
「本部勤務か大教会の住み込みひのきしん青年のどちらかに行きなさい」
と言われ、自分が選んだのは大教会のひのきしん青年でした。
布教の家へのキッカケ
大教会の2年間が終えてからは、自分が幼少期の頃から「農業をしたい!」という夢があったので、農業の専門学校に通いました。
この専門学校がキッカケで、布教の家に来たと言っても過言では無いです。
おおもとの原因は金銭的な事情で、どうにもこうにもならなくて母親を頼りました。
優しい兄に諭されて、、、
母親に相談すると、布教の家を勧めてきました。
最初は、布教の家に行くことを反対しました。
家出までするくらい反対していましたが、その時に自分と母親の間に入ってくれたのが次男の兄でした。
この兄は、とても優しく頼りがいのある人です。
そんな兄に諭されて、自分は布教の家に行くことを決めました。
布教の家の感想
だいぶさらっと流しましたが、この時は布教の家に行くことが嫌でした。
本当はバイトをして、生活を立て直そうと考えていたので、とても行きたくなかったです。
布教の家に来てみて
しかし、この布教の家に来させて頂いて思うのは、嫌々でも来て、他の寮生と布教の日々を過ごしていたら、なにかのキッカケで、嫌々な日々から抜け出すことができるということです。
こんな嫌々来た僕でも、戸別訪問はするし、路傍公演もしますし、道端でおさずけもさせてもらえます。
天理教の信仰の良いところは、心が変わった瞬間、その人が助かる道を用意してくれるところです。
1人前の天理教の布教師へ!全国の布教の家を紹介!嫌な道は助かりの道
でも、その道はすべて楽な道ではないかもしれない、自分に嫌な道になるかもしれない。
それでもその道に臆さずに進めば、必ず神様が良い方向に進めてくれます。
だから、嫌な道だと思うことがあれば、それは助かりの道だと思います。
まとめ
これから布教の家に来られることを考えている方には、自分がどういう人間なのか?など、自分探しの感覚で来るのも自分はありだと思います。
皆さんも、親神様から助かる道を与えてくだされていると思います。
それが布教の家なのか、教会の御用なのか、はたまた世間で働くことなのか分からないですが、一度、自分の助かる道を考えてみても良いのかなと思います。
この自分の話を聞いて、自分という人間を考えるきっかけになったのなら幸いです。
最後に自分の好きな言葉を書いて、終わりにしたいと思います。
身上・事情は道の花。
布教の家「大阪寮」の紹介
最後に、一部ではありますが、布教の家・大阪寮の一日の活動を紹介していきます。
布教の家の一日
若き天理教の布教師!布教の家の卒寮生の声!寮生の理づくり
今年は寮生全員のねりあいで、理づくりとして、夜みんなで一座(座りづとめとておどりのよろずよ八首と十二下り)をさせて頂いております。
ぜひ、あなたも布教の家「大阪寮」で、運命を変えてみませんか?