天理教人名辞典 前川喜三郎 まえがわきさぶろう

前川喜三郎 まえがわきさぶろう

天保5年(1834)2月22日、大和国式下郡法貴寺村(現、奈良県磯城郡田原本町法貴寺)にて、父喜八、母やゑの長男として生まれる。

木下家へ養子に入った清蔵は実弟。

文久3年(1863)、妻たけの痛の患いよりおやしきに参詣し、教祖(おやさま)よりみりんのお流れを頂く。

その時より熱心におやしきに通う。

慶応2年(1866)には不思議なお産の守護を頂き、明けて慶応3年から教祖から「みかぐらうた」の歌と手振りを教えられた。

明治13年(1880)9月30日、鳴物揃えての初めてのおつとめに、つとめ大衆の一人としてつとめた。

明治14年には大和の平野部にある村々の講社が前川喜三郎を講元として心実講を結成し、同年碁にはかぐら面をおやしきに献納している。

明治21年には天理教会(本部)准派出掛に任ぜられ、本部の用務が多くなる。

かくて明治25年2月10日、城法支教会を設置、初代会長に就任。

その後間もなく、同年3月24日には本部の教務多忙の上から後を市川栄吉2代会長に託して、城法支教会長を辞職する。

明治27年5月28日、61歳で出直した。