天理教人名辞典 儀兵衛(堀内儀平) ぎへい

儀兵衛(堀内儀平) ぎへい(ほりうちぎへい)

小路村(現、天理市小路町)の人。

明治時代は堀内儀平と改名し、儀平第13代目、明治23年(1890)8月3日没。

妻ツキ(明治44年3月12日没)。

父は儀宗治(明治14年12月20日71歳没)。

子は伝治(明治21年8月16日没)、孫泰造(明治29年2月6日没)、曽孫儀平(昭和14年6月18日46歳没)、玄孫秀夫(昭和20年6月20日31歳ルソン島没)。

堀内家は天領関係の大庄屋。

大阪平野の大念仏寺の御回在の時、毎年11月8日には尊師10人位の宿泊所であったという。

儀平は守目堂村の瓦屋へ瓦の注文に行ったと『稿本天理教教祖伝』(55ページ)に記すように、つとめ場所の建築には積極的に参画していたようである。

しかし、元治元年(1864)10月の大和神社事件以後は信心を止めたという。

また儀平は諸方の神社に寄付をして楽しんでいたともいわれ、小路村八幡神社(石上社の末社)の世話役であった。