いわんいへんの理とは?
原典・おさしづに、
一日しやうがいの理をさとしやう、むつかし事云はん云へんの理をききわけるなら、なにかの理もあざやかといふ、人間といふは身の内神のかしもの、かりもの、心一つわが理、心の理といふは、にち/\にうけとる
明治22年6月1日のおさしづ
と仰せられています。
親神様のお諭しは、一回きり、一度きりというようなその場、その時だけのものではなく、生涯の理をお諭し下さいます。
信仰はあくまでも、身はかしものかりものという自覚の上に立つ心一つの問題です。
強制されたからする、言われたからするというものではなく、親神様が方向を指し示して下されたてびきの中に、親神様の云わん云へんの理を聞き分けて深め、行動していきます。
そこに、喜びと勇みがあふれてきます。
それがあざやかなご守護を頂くことに繋がり、陽気ぐらし実現の土台となります。