神一条に進む者の道中を道にたとえて、「道すがら」と言います。
この教えでは、人生は一代限りではなく、何度も生まれかわり出かわりして歩んでいく「きりなしふしん」の「道すがら」なのです。
おさしづに
ながくの道すがらなら、てる日もあればくもる日もある、雨もふれば、風もふく、どんな日もある、これからききわけて、心たつぷり大きくもつて、をさめばをさまる
(明治28.1.14)
と仰せ下されているように、長い道すがらですから、親神様はいろいろな道を通らせます。
ですので、大きな心をもって、急がず焦らず、日々の理を積んでいくことが大切なのです。
「天理教教典」第八章「道すがら」に、日々、たんのうとひのきしん、そして誠真実をもって長い道すがらを通っていくようにと教えられています。
また、教祖の通られたひながたの道も、道すがら呼ばれ、稿本天理教教祖伝、第三章「みちすがら」として、その一部が述べられています。
親神様が人間世界を創められてから、その真実を知らされる立教の日までの歩みも「みちすがら」と言われたりしています。