足達重助 あだちじゅうすけ
庄屋敷村(現・天理市三島町)の人。
安政3年(1856)から庄屋を勤める(『教祖とその時代』17頁)。
『復元』第33号(39頁)に、「安政三年即明治三十一年ヨリ四十三年以前 村足達重助女子「イザリ」ナリシ処 信心ノ徳ニヨリ助力ル」、また「尤モ田地ハ三丁僚反モ有りタルヲ八年ノ年切ニテ 足連重助工預ケアリタリ」と記されている重助のこと。
重助は父十右衛門から引き継ぎ、油屋を盛んに営業していたようである。
万延元年(1860)12月の「絞油稼人名帳」によれば、長柄村の嘉右衛門と共に「和州山辺郡絞油稼人惣代」となっている(『改訂天理市史史料編」第2巻104頁)。
文久元年(1861)綿や善右衛門(後名中山秀司)筆「萬覚日記」の中にも油重店、油十様との商いと取れる記事が散見できる。
また、慶応3年(1867)6月、善右衛門が天輪王明神出願に際し、古市代官所宛に提出した添書には、庄屋敷村の「庄屋」として記名している。
重助の没年は未詳。