むらかた

原典みかぐらうたに

むらかたはやくにたすけたい なれどこゝろがわからいで 
(四下り目 6)

とあります。

「むらかた」とは、「村方」。すなわち、地元の人々と意味です。

また、江戸幕府の郡代、代官の支配下に幕府領地の民政に従事する庄屋、組頭、百姓代の総称を「村方三役」といい、さらにそれを略して「村方」と言います。

このような意味から、村の人々という意味で、「村方」という言葉が使われているのではないかと思われます。

しかし「灯台もと暗し」という言葉通り、意外にも地元の人々は、親神様の思召しを理解しようとしませんでした。

立教の当初に、教祖を狐つきなどと罵ったのもむらかたの人でしたし、明治十二、三年頃、参拝者に砂をかけたり、おつとめの太鼓の音に苦情を言ったのもむらかたの人でした。

教祖は、まず、むからたをたすけたいと思召されていましたが、まずその心を変えていかなければならないことを、「みかぐらうた」にお歌い下されました。

ですが、教祖に迫害を加えたむらかたの人々の中から、親神様の思召しを伝える教祖に心を動かされ、熱心な信仰者が生まれてきました。