をびや許しとは?
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をびや許しとは?親里での安産の許し
奈良県天理市の天理教教会本部のある一帯は、「親里」と呼ばれています。
人間を創造し、今も絶え間なく守りお育てくださっている、人間の親なる神様のおられる所という意味です。
そして、その中心に親神様が人間創造の元初まりに、人間を宿し込まれた元の場所である「ぢば」があります。
「をびや許し」は、世界中の人間のふるさとである「ぢば」から出される人間を創めかけた証拠としてくださる”安産の許し”なのです。
をびや許しを頂く手順
をびや許しの理解が深まったところで、次にをびや許しを頂く手順について説明していきたいと思います。
資格
妊娠6ヶ月に入れば、いつでも「をびや許し」を頂くことができます。
手順
所属の教会を通じて、最上級教会、あるいは、おやさとにあるそれぞれの教会の信者詰所に申し出て、願書の準備をします。
その上で、おぢばに帰らせていただき、直接本人(もしくは代理人である夫)がをびや許しをいただききます。
平日は、教祖殿御用場でいただきますので、教祖殿御守所へ、日曜・祝日・本部祭典前後などは、第二御用場でいただきますので、第二御用場受付へ、それぞれ願書を提出してください。
取り扱い時間などは、本部の朝づとめ後から夕づとめの1時間前までです。
詳細
すっきり安産させて頂くには、、、
人間生れるをびや許し。それはどうじゃ/\、さあどうじゃ。・・・常の通り産をして了う。常の通りは毒は要らず。‥‥皆世界一時、そのまゝ常の通り、これが第一をや人間始め証拠
おさしづ
「をびやを頂いたものは、普段通りにしていても安産させる」との親神様からの頼もしいお言葉です。
しかし、ただ頂ければそれで良いというわけではありません。
をびや許しを願い出ると、教祖殿の御用場で、「をびや御供」をお下げいただきますが、その前に一席のお話があります。
お話の内容
- をびや許しはぢばから出される安産の許しであること
- 毒忌みや腹帯などの従来の慣習との兼ね合いについて
- 出産までの間、妊婦はどういう心がけで日々を過ごせばよいか
- をびや御供の頂き方
この御用場でのお話を、しっかり心に治めて信じてこそ、安産の許しがいただけるのです。
教祖中山みき様が、「これさえ守れば、普段通りの生活で安産させる」とお教えくださいました。
大切な真実のお話ばかりです。
しっかりと聴かせていただきましょう。
をびや御供の頂くタイミング
をびや御供は、あらかじめ和紙に包んだ洗米を「かんろだい」にお供えし、をびやづとめをつとめた後に、一人につき三服ずつお下げいただきます。
出産日まで身持ちよく、胎児が母親のおなかの中で十分健やかに過ごせるように、親神様にお願いいして頂きます。
これを「身持ちなりの御供」と呼びます。
出産させていただきたい時間を仕切って、母子ともに無事出産させていただけるようにお願いして、御供をいただきます。
これを「早めの御供」と呼びます。
お産の後片づけを済ませ、座を改めた上で、無事出産させていただいたお礼を申し上げ、産後の肥立ちが順調であるようにお願いして、最後の御供を頂きます。
これを「清めの御供」と呼びます。
御供の頂き方に、特に作法などはありませんが、その都度、1粒残さず頂くようにしてください。
尚、をびやの御供は、常の御供とはまったく理合いの違うものですから、混同しないようにして、保管していおきましょう。
【安産の秘訣】昔の習慣は要らない⁉神様の十全の守護などについて!をびや許しの歴史
まず自分の娘に試された
嘉永7年(1854)、教祖は、梶本家に嫁いだ、三女おはるさんの初産にあたって、
「なんでもかでも、内からためししてみせるで」
教祖のお言葉
と仰って、おはるさんのおなかに三度息をかけ、三度なでられました。
これがをびや許しの始まりです。
おはるさんの出産当日には、大地震があって、産屋の壁が崩れ落ちるほどでしたが、楽々と元気な男の子を出産し、翌日には元気に立ち働いていました。
「疑いの心があったからや」
この不思議な姿をみた「ゆき」という村人が、自分のお産のとき、教祖にをびや許しを願い出ました。
そのとき教祖より、
「人間思案は一切いらぬ。親神様にもたれ、安心して産ませていただくよう」
教祖のお言葉
と、諭されたのですが、ゆきさんは教祖からの言葉を信じきれず、毒忌みなどの昔からの慣習に従ったところ、産後の熱で寝込んでしまいました。
教祖にそのわけをお尋ねすると、
「疑いの心があったかたや」
教祖のお言葉
と仰せられ、ゆきさんは深く反省しました。
教祖は、その赤子を引き取って世話をされ、ゆきさんはほどなく全快しました。
神様にもたれる
翌年、再び妊娠したゆきさんは、改めて、をびや許しをいただきました。
今回は、教祖の教えをよく守り、すべて親神様におまかせしました。
すると不思議なほどに安産で、産後の経過もすこぶる順調でした。
このことが、近在で噂となり、
- 「安産の神様がござるそうな、、、」
- 「生き神様やそうな、、、」
という声が、四方八方に広がりました。
当時のお産
当時は、お産に対する不安が妊婦自身はもちろん、家族の者たちの心に重くのしかかっていた時代でした。
それは、現在から見れば想像もつかないほどでした。
ところが、をびや許しを頂いた人は、みな不思議ほどに、楽々と安産したということです
よろづたすけの道あけ
こうして、教祖の存在は、大和一帯に知れ渡るようになりました。
生き神様と噂を聞きつけ、お産の患い以外の人々も訪ねるようになり、枯れ野に放たれた火のように、勢いよく天理教の教えは広まっていたのでした。
をびや許しが”よろづたすけの道あけ”と言われる所以でもあります。
安産の秘訣
教祖は、をびや許しを頂いた者は、
「をびや一切常のとおり、腹帯いらず、毒忌みいらず、凭れ物いらず、七十五日の身のけがれもなし」
教祖のお言葉
とおっしゃいました。
「昔ながらの習慣に従わなくとも、いつも通りの生活で安産させる、ただ、親神様を信じてもたれきるように」と教えられたのです。
親神様の御守護は、願う人の心どおりで、いくら、たすけてやりたいという思いでも、人間のほうで疑って、心の扉を閉ざしていれば、親神様も働きようがありません。
人間創造の親が、みな引き受けて安産さす、とおっしゃったるのですから、大船に乗ったつもりで、全てをお任せましょう。
まとめと次の記事
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【安産の秘訣】昔の習慣は要らない⁉神様の十全の守護などについて!👆の記事では、主にこんな内容になっております。
- 出産するときの昔の習慣
- 神様の十全のお働き
- 子と親の不思議な関係