元の理
「この世の元初まりは、泥海であった」で始まる、人間世界創造の説話である「元初まりのお話」に象徴されますが、広く解釈して、“たすけの理話”と呼ばれます。
親神様が世界中の人間を救済するために、全ての人間を陽気ぐらしがらできるように、人間創造の元に立ち返り、根本的な真実を教えようとされたものです。
人間は、長い時間をかけら出直し(死)と生まれ変わりを繰り返しながら育まれ、人間の成人に応じて、海山・天地・環境を作られてきました。
魂には、高低もなく、他の生物も自然も人間が支配するものでなく、全てが共に生きる存在であるということが、「元の理」の話のバックボーンであります。
十全の守護
ー陽気ぐらしできる働きをの構造
十全の守護とは、陽気くらしができるように、人間に備えられた10の機能のことです。
この十全の守護は、人間ばかりでなく、万物に遍く行き届いているもので、十全の守護によって、全ての物が生成・発展を遂げているのです。
自然界が息づいているのも、私たち人間が生かされているのも、すなわち十全の守護のおかげなのです。
かしもの・かりもの
からだは自分のもの、だから自分の思うようになる、と思いがちですが、風邪・腹痛を起こしても、どうにもならない身の不自由さに気づきます。
私たちのからだのことを
「人間の思うように行かんのは“かりものの証拠”」
おさしづ
と明確に教えられています。
からだは親神様から借りているということになるのです。
ただし、「心一つがわがのもの」と、人間に心を自由に使うことが許されているのです。
だから、思うこと、考えることは自由で、心だけはからだの域を超えて、どこまでもとんでいくことが可能なわけです。
人をたすけることが、1番の親神様の望みですから、そのお心に添うことは、より一層親神様がお勇みくだされることになるということです。
誰でも良いことをすれば、気持ちのいいものですが、神様のご加護を受けると、我が心はさらに勇んでくると思うのです。
借りたこのからだは、できるだけ周りの人に喜んでいただけるように使わせて頂きましょう。
八つのほこり
- おしい(惜しい)
- ほしい(欲しい)
- にくい(憎い)
- かわい(可愛い)
- うらみ(恨み)
- はらだち(腹立ち)
- よく(欲)
- こうまん(高慢)
これを「八つのほこり」と言い、
- うそ(嘘)
- ついしょう(追従)
さらに合わせて、この2つは、神様が嫌いだとされています。
なぜ心遣いを「ほこり(埃)」に例えられたのでしょうか?
埃は、机の上を見ても廊下を見ても分かるように、たえず積もるもので、放っておくと、なかなか取り除きにくくなるものです。
なので、常に掃除をすることが大切です。
埃が積もると、心に陰りができ、本来の明るさが消えてしまうことがあるので、「八つのほこり」で戒められているのです。
しかし、この教えでは、決して積んではいけないとは仰らず、ほこりを絶えず払うことが大切だとお教え下されています。
別席の運び方について
- 別席は、満17歳になる月から運ぶことができます。
- 別席を運ぶ方は、まず別席の誓いをしなければなりません。
- 別席は、月に1度、9ヶ月(9席)運んで満席を原則とします。
- いかなる場合も、運んだ席数だけ月を経たなければ、次の席は運べません。
- 9席目は、初席から9ヶ月目以降でなければ運べません。
- 席札を紛失した場合は、運び直しとなります。
別席は陽気ぐらしへの入口
天理教の教えでは、
この世を治める真実の道
とお教え下されています。
親神様は教祖を通して、この世にあらわれて以来、その思いを広く世界の人々に知らしめ、人間の陽気ぐらしのために、親神様の手足となってはたらく「よふぼく(用木)」がほしいと望まれているのです。
この親神様の意を通して、そんな切なる“元の親”の思いを押し広めようと努めているのが天理教で、その道の入口となる場所が「別席場」なのであります。
なぜ9回同じ話を聞くのか?
別席は9回運びます。
最初の別席・・・「初席」
2席目〜8席目・・・「中席」
最後の別席・・・「満席」
同じ話を9回聞くことになりますが、なぜこのようになっているのかというと、
1度聞いただけでは忘れてしまうことがあるので、同じ話を9回聞くことで理解を進めていきます。
日常生活を送る中で、泣いたり笑ったり、悩んだり喜んだりする中で咀嚼し、その上で、また同じ話を聞きます。
さまざま現象にぶつかり、いろいろな体験をしていくうちに、さらに納得が深まり、今まで気づかなかった事柄にも気づき、同じ話でも一層輝きをますのものです。
それを繰り返して、月ごとに心の成人を重ね「おさづけの理」をいただくことができます。
たすけてほしいからたすかってほしいへ
「自分を誰か助けて欲しい」
「たすかりたい!」
このような意識から
「人様にたすかってもらいたい」
「たすけさせていただきたい」
という心に転換させていただくことが、生きて生まれ変わるということなのです。
特に現在のせわしい社会の中で、人のことを構ってられないというのが、大半の人の本音です。
戦争原理のもとでは、他人を踏み台にするor自分が踏み台にされるかなのです。
それでは、あまりに、この世と人間の創造主である親神様の思いとかけ離れています。
それで幸せが得れるからまだしも、それもおぼつかないのが実際です。
しかし、よく考えてみると、自分だけの幸せというのは、実は実体のない幻影のようなものです。
全体が幸せになって初めて、自分の真の幸せや生き甲斐が息づいてくると思うのです。
言い換えれば、「してほしい」「欲しい」という子供から、我が子を慈しむ親への回心になるのではないでしょうか。
このような心つくりを月々に積み重ねていくのが、別席の順序を進める中で大切な過程になります。