辻ます つじます
辻忠作の妻。
忠作とますとの間には、長女かめ、長男由松、二女いそ、三女とめぎく、四女よしゑ、次男上吉の6人の子供がいる。
ますの入信に至る経緯は、夫忠作の入信によるものであろうが、文久3年(1863)7月の中頃、長男由松(4歳)が、顔が青くなり、もう難しいという程になったので、夫忠作の母おりうが背負うて参拝したところ、教祖は、
「親と代わりて来い。」
と、仰せられたので、ますが背負うて参拝したところ、
「ふた親の心次第に救けてやろう。」
と、お諭し頂き、4、5日程で、すっきりおたすけ頂いた。
その時から常にお屋敷に通っていたのであろう(『稿本天理教教祖伝逸話篇』9-10頁)。
明治8年(1875)、かんろだいのぢば定めが行われた。
教祖は、先ず自ら庭の中を歩まれ、足がぴたりと地面にひっついて前へも横へも動かなく成った地点に標を付けられた。
その後、人々を、次々と、目隠しをして歩かせた処、皆、同じ処へ吸い寄せられるように立ち止まった。
ますは、初めの時は立ち止まらなかったが、子供のとめぎく(6歳)を背負って歩くと、皆と同じ所で足が地面に吸い付いて動かなくなったという(『稿本天理教教祖伝』128-129頁)。
明治17年(1884)1月4日に出直し。