助造(今井助造) すけぞう(いまいすけぞう)
今井助造または今井新治郎。
天保2年(1831)11月1日生まれ。
信景山毘沙門天も信仰していたという。
慶応元年(1865)7、8月頃、福住村にも教祖(おやさま)の教えが広まり、眼を病んでいた助道もたすけられて入信。
2カ月余り熱心におぢばに参詣していたが、やがて、針ケ別所が本地で、庄屋敷は垂連であると唱え、「助造事件」へと発展する(『稿本天理教教祖伝』64-66頁)。
明治以後も宗教活動を続け、明治9(1876)6月警察に留置された。
この時、いわれなき神号をとなえ、居宅に神殿を設けて怪説を流し寄付金を受けたとして、杖70の刑をうけ天輪王神殿等、神具を取り上げられた。
その後山上講社にはいり、明治14年には転輪聖王御拝堂屋根替井畳建具上壁塗替神殿修繕
のため寄付金を募集している。
天輪王教会教祖として明治24年1月23日没。
61歳。眼病を患い教勢はふるわなかったという。
「史実校訂本中二」(『復元』32号)には、昭和10年(1935)当時の針ケ別所の様子が記されているが、その調査内容は今井助造の弟の今井惣治郎(宗次郎とも)が始めた転輪王教会を指している。
兄弟の仲は悪かったという。
今井惣治郎は慶応2年に神の霊示を受けて開教したとされ、助造同様山上講社に加入するなどして宗教活動を続けたが、明治13年警察に召喚され、明治15年には懲役を受けている。
明治22年に御嶽教庁から天輪講社事務所として認可されている。
『天理教郡山大教会史その一』で、明治21年頃から天竜講奈良講社が影響を受けたといわれる助造一派というのは、転輪王教会のことと思われる。