大浦伝七 おおうらでんしち
大和国式上郡笠間村(現・奈良県宇陀市榛原笠間)の人。
嘉永元年(1848)9月3日生まれ。
明治18、19年(1885、1886)頃のことと言い伝えられている話に、妻のなかが急に人差指に激しい痛みを感じた。
痛みが治らないので、近所に住む加見兵四郎に願ったところ、痛みは止まった。
しかし、しばらくするとまた痛み出し、これを3、4度も繰り返していた。
加見が、「おぢば」へ誘い、教祖(おやさま)にお目通りして、お願いした。
教祖は、その指に3度息をかけると、痛みは即座に止まった。
「不思議な神様やなあ。」と感激していると、教祖は、
「ここは、人間はじめ出したる元の屋敷である。先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや。」
と、お聞かせ下されたという(『稿本天理教教祖伝逸話篇』182話「元の屋敷」)。
伝七は、後に心勇講に加盟し、明治28年12月24日、東和支教会を開設して初代会長となった。
明治33年3月4日、53歳で出直している。