岡本シナ(旧姓尾田シナ) おかもとしな
岡本善六の妻。
明治5年(1872)に善六と結婚する。
元治元年(1864)入信していた重治郎、ルイ(山中忠七、べんの二女)の薫陶をうけ、夫善六とともに信仰の道を歩む。
明治12年、長男栄太郎が7歳のとき、全国的に流行していたコレラにかかり、教祖(おやさま)にたすけられてからは、一層熱心に信仰しはじめた。
明治14年8月シナが26歳のとき、教祖に
「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。」
「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで。」
と諭されて、乳飲み子を預かった。
順調に育った預かり子を連れて教祖のもとを訪ねると、教祖は
「シナはん、善い事をしなはったなあ。」
とねぎらわれた(『稿本天理教教祖伝逸話篇』86話「大きなたすけ」)という。
明治18年善六は、「おぢば」周辺の人々に呼びかけ、「日元(ひのもと)講」(講長辻忠作)を結成、明治23年には、2代講長となっている。
明治28年には、日元講を母体として旭日支教会を開設し、初代会長となった。
明治39年、善六は会長を辞任し、夫婦ともども教会本部へ勤めた。
明治45年5月15日、夫善六が64歳で出直した。
シナはその半月後の6月2日、57歳で出直している。
【参考文献】
- 天理教旭日大教会史編纂委員会編『旭日大教会史』(天理教旭日大教会、1995年)