天理教人名辞典 梅谷たね うめたにたね

梅谷たね うめたにたね


嘉永3年(1850)8月4日、上野早蔵、やすの長女として出生、明治4年(1871)、梅谷四郎兵衞と結婚。

明治14年、四郎兵衛が、長兄である浅七のソコヒ平癒のため、「おやしき」に帰り、中山秀司、まつゑの話を聞いて入信する。

教祖(おやさま)は、

「夫婦揃うて信心しなはれや。」

と仰せになり、四郎兵衞はたねに、「この道というものは、一人だけではいかぬのだそうであるから、おまえも、ともどもに信心してくれねばならぬ。」と話したところ、たねも素直にしたがった。

茶碗に水をいれて、「おぢば」に向かって、「なむてんりわうのみこと」と3遍唱えて、その水を分けて飲み、誓いのしるしとしたという。

明治15年、たねが、赤ん坊であった長女たかを抱いておぢばへ帰ったとき、教祖は、たかの膿を持った一面のクサを御覧になり、紙切れを取り出して、少しずつ指でちぎっては唾をつけて、一つひとつ頭にお貼りになった。

大阪に戻り、2、3日経つと、ジクジクしたクサも、綿帽子をかぶったように浮き上がり、帽子を脱ぐようにご守護をいただいた(『稿本天理教教祖伝逸話篇』107話「クサはむさいもの」)。

四郎兵衞が「おさしづ」によって明治22年1月15日、船場分教会(現、大教会)のお許しを得、同12月23日には、たねも「おさづけの理」をいただき、夫婦ともどもの信仰に一層拍車がかけられた。

たねは、大正7年8月14日出直した。

[参考文献]
  • 天理教船場大教会史料集部『梅谷文書』(天理教船場大教会、1951年、1972年再版)
  • 曾谷吉喜編著『船場大教会史』(天理教船場大教会、1991年)