前川杏助 まえがわきょうすけ
大和国山辺郡三昧田村(現、天理市三昧田町)にて、父前川半七正信、母きぬの長男として生まれる。
教祖(おやさま)中山みきの実兄。
生まれつき器用な人であったことから、教祖はつとめに必要なかぐら面の制作を依頼され、杏助の手によって一閃張りの獅子面がつくられた。
明治5年(1872)9月4日出直す。80歳。
この杏助制作の獅子面を明治7年6月18日に教祖とつとめ大衆が迎えにいくが、杏助はすでにその時よりも2年前に出直しており、かぐら面の制作された時期がいつであったかは想像の域を出ない(『稿本天理教教祖伝』111頁)。