天理教人名辞典 前川半三郎 まえがわはんさぶろう

前川半三郎 まえがわはんさぶろう

幼名半兵衛。

教祖(おやさま)中山みきの実弟。

父前川半七正信、母きぬの二男として、大和国山辺郡三昧田村(現天理市三昧田町)に生まれる。

後、兄杏介の準養子となり前川家の家督を相続した。

立教の時、24歳であり、中山家が貧のどん底に落ち切っていく道中の様を教祖の実弟として目のあたりにしたようである。

晩年に、この当時の様子を初代真柱に伝え、この聞き書きが「教祖御伝」に大きな影響を与えたと思われる。

半三郎は後につとめ大衆の一人に加えられる。

中山家が貧のどん底に落ち切っていく中、遂には親族、友人は不付合いとなり、また村人達も教祖を気が違ったとか、狐憑きと噛り、誰もが寄り付かなくなったことから、今に伝えられる当時の親族はほとんど不明であるが、その中唯一ともいうべき親族であり、教祖についてきた一人である。

明治7年(1874)6月18日(陰暦5月5日)、教祖が長らく前川家にお預りのあったかぐら面をつとめ大衆と共に迎えにいかれ、そこではじめてかぐら面をつけてつとめが勤められたが、半三郎はそのつとめ人衆の一人に加わったと推測される。

しかも迎える前川家の戸主でもあった。

明治31年8月31日、84歳で出直した。