2019年12月号よろこび月報

本年締め括りの仕切りに真実を尽くさせて頂こう!

ご 挨 拶

日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に誠真実を賜り、誠に有難うございます。

去る11月30日、晴天の御守護のもと、2000名を超える兵神につながるようぼくが参拝する中、大亮様・ はるえ奥様のお入込みを賜り、兵神大教会創立百三十周年 記念祭が盛大に執り行われ、当教会からも108人が参拝させて頂きました。

この日を目指し、兵神につながる理の子の成人を願って大教会長様より「神一条の精神を定めよう」の成人目標とその実行項目である「朝起き・正直・働き」を掲げて頂きました。

そして着実に実践できるようにする ためにご開催下さった教理勉強会を通して親神様・教祖の

果てしない親心、一対一の関係性、教祖の実在性、おぢば案内など数々の御教理をお教え頂きました。私達は大教会長様の親心にお応えすべくこれらの御教理をしっかり 身に付けて喜び勇んで通らせて頂きましょう。

また、本年を振り返りますに、今年も数々の節をお見せ頂きましたが、それらの節にこもる親心を悟り、且つその節を生き節とすべく、ご存命の教祖のお供で勇んでにをいがけ・おたすけに奔走させて頂きました。

そして旬々の 御用に対し、皆が一手一つに談じ合い、練り合いを重ねて着実にひとつひとつの御用を真剣かつ勇み心いっぱいに務めさせて頂く中に、届かないながらもにをいがけ・おたすけの成果の上に、又、おつくしの上に大きな御守護を頂きました。

残すところ20日余りとなった今、来年に迎える八生兵庫分教会創立10周年への弾みとすべく、本年締め括りの御用であるおぢばへの仕切りに 真実を尽くさせて頂き、心定め通りの運びをさせて頂きましょう。

今月も何卒 宜しくお願い申し上げます。

記念祭の意義づけ

清水 慶政 大教会長様11月23日兵神大教会月次祭神殿講話より

記念祭の意義づけを常々考えておりましたが、それは何といってもおつとめではないでしょうか。

何が記念祭なのか おつとめが記念祭なんです。

なぜならば、これまで130年もの間こうして教会として結構にお連れ通り頂いて、たくさんのようぼく・信者の方々が真心を伏せこんでくれて、無事にここまでお連れ通り頂いたそのお礼を神様に申し上げることが記念祭の第一の目的であると思います。

兵神の278か所の総力をあげて、おつとめにかからせて頂いて、130年という歴史によって培われた   信仰をおつとめによって神様にご覧頂くのが記念祭であります。

そしてもう一つは兵神につながる皆さんと寄り添って、130年の歩みを分かち合い喜び合う機会とすることがもうひとつの目的ではないかと思います。

おつとめが楽しみ

木下寿美子先生教話集『親から子への贈り物』第4集「十四、おつとめが楽しみ」より

毎朝こうして、おつとめさしてもらっておりましても、今までは大きな声張り上げてお神楽あげてんのが精一杯でしたけど、意味深い理のある このお手振りですし、鳴物の音もボツボツですが聞き分けられるようになってきた。

最近のようにゆったり楽しく、お神楽をあげさせてもらうということはなかった。

大体緊張してるか、それでなかったら勇んでるか。

鳴物の音がよく耳に入ってきて

「いやぁ、本当に楽しいなあ、この音のときにこんなふうな構えになってんねんなあ。この音でこんなふうに調子付いていって気持ちのよいもんやなあ」

というふうに、有難い思いで毎朝、鳴物のなかでお手振りさして頂いておりますが、去年は、お神楽が一寸勇めなかったんで、これではいかんと思うて、私なりに大変な苦労をして、おつくしをさしてもろて一年半程になりますが、今こんなに有難い思いで、お神楽をあげさして頂ける。

やっぱり理は積んどかないかんもんやなあと、つくづくここ最近毎朝そう思うわけです。

お互いは、結果を求めず、先のことを喜んだり心配せずに、何をさしてもらうにしても、一つ一つご恩報じ、ご恩報じと思うてさしてもらうその心に、一番大きな理が回るんですけれども、そこにいくまでに日にちはかかりますけど、いろいろなことを学ばしてもろて

「本当に有難いなあ」

と、毎日そういうふうに思うて楽しんで生きさして頂いております。

54名のおつとめ奉仕者130名の参拝者を目標にかぐらづとめの理を頂ける月次祭を命がけで!!

立教176年1月30日 一郎会長様 おつとめ練習後のおはなしより

おやさまへの誓い

私たちが道一条を定めた時に、

このおつとめを命がけで・・・手を揃え鳴り物を揃えて勇んだおつとめを通して、教祖に、そして親々にお喜び頂きたい。」

との一念で、神殿建築、教会設立と、こうして現在まで通らせて頂きました。

教祖が115歳の定命を25年もお縮めになってまでも、急き込まれたたすけ一条の道の根本であります。

大教会長さまの思い

現大教会長様は大変おつとめには、厳しいお方です。

特に鳴り物の芯である拍子木を今後役員先生に割り当てられる等、神一条・一手一つのおつとめに思いを込められています。

・・・(中略)・・・

何よりおつとめは“合わせる心”が大事なんですね。

速度、音の大きさ、音程、そして地方に合わせる…拍子木に合わせる…お手ふりの芯の方に合わせるといったことが、肝心です。

合わせることによって、お互いの気癖がとれていくんですね。

人生を駄目にしてきた気癖がとれ、欲・自我と執着がだんだんにとれていき、心が澄み切って、恩が感じられる人間になる。それが真のたすかりです

月次祭のたすかり

更には、かぐらづとめの理を頂いてつとめる国々所々の月次祭のおつとめによって、救済と守護を約束され、何より教祖が最もお喜び下さるのです。

ですから毎月2日の当教会の月次祭には、大勢の方をお誘いし、おぢばへと繋がせて頂きましょう。

【おつとめの心】

  1. 素直な心(神一条の精神)
  2. 一手一つの心(合わせる心)
  3. 勇んだ心(たすけ心)

大教会の記念祭で頂いた親の理

兵神大教会創立130周年記念祭直後の順子奥様のお話

おやさまをお迎え

この度の記念祭において、勿体無くも自分のような者をご接待に関わる御用にお使い下さり、兵神に教祖をお迎えする準備にあたり、大教会長様・奥様の真心の限りを尽くし切られるそのご様子を間近で拝見させて頂くことができました。

更には、ご接待の全責任者として御用にあたられた名田のなつえ奥様、そして琴緒のさとゑ会長様、直会の責任を負われた 天浦の恵美子奥様 ─ それぞれの親々の真剣な理を立てきったお姿を目の当たりにして、百年以上続く教会というものがどこで理を頂戴し、代々継続発展していくのかを学ばせて頂けたように思います。

初代の通り方

私たち夫婦は道一条としては初代であり、そこにつながるほとんどが信仰初代の者ばかりです。

まして教会は来年の六月にようやく十周年を迎えるまだまだ幼い教会です。

さすがに四代、五代、六代と続いていく背景には、それはそれは血の滲むような親に尽くしていく努力が伏せこまれ、その代その代が誠の限りを尽くして教祖のお心である人たすけに徹しきってこられたその積み重ねがあってこその賜物であり、 兵神につながる私たちはお互いはその理をこの記念祭をを通して頂戴致しました。

それではその初代の方々は一体何をされたのでしょうか?

それは教祖のおひながたを慕って、わからん中、成らん中を、只々ご恩報じの心でひたすら親々へ尽くし運び、そして身を下げ、頭を下げて、たんのうの心でにをいがけ・おたすけをされてこられました。

天浦の尽くしの理を頂いて仕切り

私たちは、3年後に八十周年を迎える天浦分教会の木下寿美子先生が命をかけて親孝行と人たすけに尽くし切ってこられた教会の部内であります。

この尊い親の尽くし運びの理を頂いて、このおぢばに運ばせて頂く仕切りこそは末代にわたってたすかっていく大きな力となるものです

この仕切りの御用を通して、天理教を知らない方がいま抱えている事情や病の悩みをたすけて頂ける尊いたすかるお尽くしの御用ですので、八生兵庫分教会一手一つに大勢の方のたすかりを願ってこの仕切りというたすかる御用を伝え歩かせて頂きましょう。

残りわずかな日にちですが、教祖の不思議自由用のはたらきの上に必ず無から有が生み出され、真実・誠のおぢばへの尽くしとなることを信じて通らせて頂きたいと思います。

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者6名
修養科修了生6名
おさづけの理拝戴1名