遠慮とは?
「遠慮はほこり」という言葉があります。
親神様のお話をお取り次ぎするのに、遠慮はいらない、それどころか「ほこり」になるという意味です。
原典・おさしづに
道を道と思へばなにもむつかしい事はない、又一つには遠慮はあろまい
明治24年2月8日のおさしづ
遠慮きがねはいらん、すつきりいらん、遠慮きがねはあつてはどうもならん、遠慮きがねがあつては、しんの兄弟といへるか、たがい/\のうたがひは神の理やない
明治24年11月15日のおさしづ
これから、なにも遠慮はいらんかわりに、あの人さえ、あれだけならと、めん/\もさんげという
明治24年1月29日のおさしづ
本当に救かっていただきたいという心があったら、たとえどんな中でも神の理を遠慮することなく、お伝えすることが大切です。
ただし、「自分がたすけてやるのだ」という気持ちではよくありません。
人にお教えを伝える際、「遠慮はいらん」と言い切る反面には、わが身の「さんげ」を忘れてはいけないのです。