小東政太郎 こひがしまさたろう
大和国平群郡平等寺村(現、生駒郡平群町大字平等寺)にて、父小東政吉の長男として生まれた。
中山秀司の妻まつゑの兄である。
小東家は、平群地方では旧家であり、財産家であった。
父政吉は、農業の傍ら法隆寺斑鳩御所の名目金を地方人に貸し付けていた。
取り立ても厳しかったという。
政吉が亡くなった時、箱に7杯黄金が残っていたとも言う。
そのような事が理に添わなかったのか、政太郎、定次郎、仙次郎の3人は共に身持ちが悪く、特に政太郎は、乗馬2頭を買い、賭博、女遊びと、財産を濫費し、没落してしまった。
教祖(おやさま)は
「小東家の家は無理してあるから、何度改革をしても家が潰れる」
と仰せになったこともあるという。
五人あるなかのにゝんハうちにをけあと三人ハ神のひきうけ(ふ1:68)
の5人は、小東家の兄弟姉妹を示し、
さと/\たをと/\びよさま/\(ふ17:73)
の「びよさま/\」も、小東家を指したお言葉であるといわれる。
生没年不詳。