ご挨拶

心の成人に向かって─勇んで年祭活動を推し進めよう!
日々はそれぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。
去る4月18日、晴天のご守護のもと、国内外から帰参した多くの教友が神苑を埋め尽くす中、教祖の227回目のお誕生日を寿ぐ教祖誕生祭がおぢば教祖殿にて晴れやかに執り行われました。
当教会からも44名が帰らせて頂き、 ご存命の教祖にお祝いを申し上げると共に、おかけ下さる親心にお応えすべく、心の成人に向かって勇んで年祭活動を推し進めることをお誓いさせて頂きました。
その翌日19日には、第107回婦人会総会が開催され、 35名の婦人会員を含む58名が参加させて頂きました。
総会式典において、婦人会長様は
「老いも若きも一人ひとりが陽気ぐらしに向かう一役を担っているという喜びと誇りをもって素晴らしい親神様のみ教えを多くの人に伝えよう」
とお話くださいました。続いて宮森内統領より
「与えられている徳分をいかして、この道が末代かけて 続いていくために、これからの道を通る人の丹精、育成に励んで頂きたい」
との真柱様のメッセージが代読されました。
婦人会員のみならず私共教会長、ようぼく一同も真柱様、婦人会長様の思いに沿って、活発に残りの年祭活動を進めて参りましょう。
更に4月29日には全教一斉ひのきしんデーが開催されました。
私共もそれぞれの会場にて日頃賜る十全の御守護への感謝の心で務めさせて頂きました。
今月も何卒よろしくお願い申し上げます。
よふぼくの使命に目覚めよ!
立教188年4月2日 八生兵庫月次祭 一郎会長様の神殿講話より
よふぼくとは?
“ようぼく”とは、形式的な意味から申しますと、別席順序を九回運んで、十回目におさづけの理を真柱様の手を通して教祖からおさづの理を戴いた人のことです。
では実質的な意味で申せば、親神様・教祖の手足となって、陽気ぐらし世界の実現に貢献していく人です。
つまり親神様・教祖の名代として、そのをやの思いを一身に背負って、陽気ぐらし世界の実現に向かって働くのです。
一人が一万人を担当
世界の人口は現在八十億人と言われています。
その中で、ようぼくはたったの八十万人しかいません。
約一万人に一人の割合です。かつて、百万人ようぼくの時代には、「一人が六千人を担当しないといけないんだ!」と、よく前の 大教会長様が仰っておられました。
ですから我々ようぼく一人が、一万人を担当しないといけないという計算になります。
世界中にはイスラム圏の方や、共産圏の方など様々です。
そんな未だこの道を知らない方々に、我々は親神様・教祖のご存在とその親心をどうでも伝えてゆかねばなりません。
親神様のピックアップ
我々おさづけの理を戴いた者は、親神様によって八十億人の中からピックアップされ、「陽気ぐらし世界実現のために頑張ってほしい!」という親神様からの大いなる期待がかかっているのです。
このことを我々はもっと自覚し、その期待にお応えする心を高めていきたいものです。
そしてピックアップされた我々が為すべき事は、
おつとめとおさづけ、そしてお話の取り次ぎによってこの世の治まりと個々人のたすけを願うことです。
ようぼくの魂の目覚め
今から四十年前の諭達第三号、三代真柱様のお言葉に、
「ようぼくの一言のにをいがけは、人の運命を変える。一回のおたすけは、無い命をもおたすけ頂く─」
とありました。
その時私は28歳でしたが、ビビビビッ!と背中に、電流が走ったのを今でも覚えています。
当時の私はバッジをつけたかったんです。
法律家、政治家のバッジです…しかしそのお言葉の理によって、おぼろげに「人の運命がたすかっていく、無い命がたすかる…これは途轍もない素晴らしいお仕事ではないか!」と思いました。
その後約4年間逡巡し、司法試験にも受かることなく燻っていました。
そして迎えた平成2年10月1日─ 我が恩師・木下寿美子先生がうちに来られて、「すぐ教会に来て、神様のご用をしなさい!」と 先生の鶴の一声を頂き、まだ幼い二人の子供と妻と共に、天浦分教会へと住み込ませて頂くこととなりました。
数多のようぼくの誕生
それから35年、たすけ一条を定めた我々夫婦の心に乗って、ご存命の教祖がお働き下さり、約四百名のようぼくが誕生致しました。
現実に我々の一言のにおいがけから運命が変わった方、おさづけの取り次ぎから無い命がたすかった方─ 数多のおたすけを通して不思議なたすかりをお見せ頂きましたが、全ては親神様・教祖が我々ようぼくの心をお受け取り下さり、鮮やかにご守護下さった証です。
ようぼくとは、そんな極めて尊いありがたい立場であります。
鮮やかなご守護
まだ別席を運び中の方もおられますが、別席のお話は決して面白い話ではないので、90分間の長い修行に近い話だと感じている方も おられるかもしれません。
しかしあの一席一席によって、心の汚れが少しずつ払われてゆき、魂に徳をつけてもらっているんです。
つい最近、生きながらにして生まれ更わったTさんがこう言っていました。
「早くこのおさづけが欲しかった!いつもおさづけが出来ないことがもどかしかった─」
ちょうどその時、私の背骨に痛みが あり、拝戴して直ぐのおさづけをTさんにして頂きました。Tさんのお取り次ぎが余りにも上手だったことに驚くと共に、これまで痛かった背骨が鮮やかにご守護頂き、大変感動致しました。
本日は、ようぼくの使命とその立場の尊さについてお話させて頂きました。

教祖存命の理を信じて!
立教188年4月19日 兵神おぢばがえり団参 西村順子奥様 車中でのお話より
見えてきたのは「自分」
今から四十数年前、私が天理教の布教師になった時、
「人たすけてわが身たすかる ─ 今日から貴方は人だすけに歩きなさい!」と言われて、言われるがままに人だすけに歩かせて頂きました。
これまで親神様、教祖のお姿を肉眼で拝見したことは一度もございませんが、その信仰実践を通して見えてきたことはたった一つ、「本当の自分」というものが見えて参りました。
「立派な自分…頑張ってきた自分」と思ってましたが、とんでもない…「人の真実を裏切り、 恩を仇で返し、親不孝を重ね、人を泣かせてきた自分」というものが、人様のおたすけを通してはっきりと見えて 参りました。
心一つのかりもの
かつて私が世間でキャリアウーマンとしてバリバリ商売をしていた頃は、努力と知恵と才覚さえあれば、生きていけると信じていました。そしてその当時の目標は、常に地位・名誉・財産にありました
今思えば、それが如何に浅はかなことで愚かなことであったか ─
人間の力でどんなに積み上げても、崩れるのは一瞬です。
こちらにそれをお借りするだけの資格がなくなれば、いつだって返さなければいけない。
たとえ財力や知恵や学力がなくても、神様が「貴方に貸してやろう…」とその資格さえ出来れば、一切は要るときに要るものをお借りできる。
この“心一つのかしものかりものの理”をおたすけの数々の体験を通して、実感させて頂きました。
おたすけプロジェクトチーム
恥ずかしながら私自身は、嫁として、家内として、母として、0点 だと自覚しています。
また料理も裁縫も出来ない、運転もパソコンも全く出来ません。
唯一、人にたすかって頂きたいという本気と、教祖におすがりすれば必ずたすけて下さるという信念だけで、何とか神様にお遣い頂ている現状でございます。
しかし不思議なことに、何とか人様にたすかって頂きたいと神様の ご用に遣って頂く中に、その道のスペシャリストや様々なスキルを持ったエキスパートが、自然と集まってきて下さいまして、何も出来ない私をサポートして下さるようになってきました。
今では、おたすけプロジェクトチームのように、どんな難しいおたすけにも切り込んでゆける有能な人材を、神様からお貸し下さっております。
これも 心一つのかりものでありますので、一たび私の心が欲にまみれて、人をたすける心を失くせば、みな一瞬にしてお返しせねばなりません。
自己完結型のおたすけ
また大勢の方と共に暮らさせて頂いている現在の教会の姿も、同じく神様からのかりものでございます。
元々この道を志し、お金も何にも無い中で、様々な事情や病気で困り果てた方々を抱えさせて頂き、共にたすけ合いながら人生を通りたい─
そんな思いで歩かせて頂く中に、神様が大勢の方が 住み込んで、たすけ合えるような建物をお貸し下さいました。
そこには最初から資金が豊富にあったわけでも、スポンサーのような人がいたわけでもありませんでしたが、いつも神様のご用となれば、捨て身の覚悟で取り組んで参りました。
考えてみれば、逆に守る名誉もなければ、守る財もなかったことが、おたすけをさせて頂く私たちの強みなのかも知れません。
ボランティアは対人間ですから、いろいろと制限がつきものですが、私たちのおたすけの活動は、神様を目標にした全て自己完結型でどんなことでもさせて頂ける尊い人だすけのご用であることを改めて実感致します。
真の誠とは
本日満席になられるUさんから、別席のお話の内容についてご質問がありましたので、届きませんがお答えさせて頂きたいと思います。
別席の台本の中に─
「人間身上に不足はありませんけれども、前生のほこりを持って 生まれ出るのであります。そこで、世界の上を見てはなるほど、聞いてはなるほどと、十分にたんのうの理を治めねばなりません。たんのうの理は、真の誠であります。」とあります。
この「真の誠」とはどういう意味ですか?
という質問を頂きました。
そこでまず辞書を引きますと、「真の誠」とは
“嘘偽りのない心”と出ておりました。
そして「真」と「誠」は同じような意味がダブルで重なっていますが、これは一般的には少し聞き慣れない言葉だと思いますが、「たんのう」と申します。
満足、喜び、感謝を伴う心遣いが「たんのう」でございます。
このたんのうは、人間が使う心遣いの最高のランクだと言えます。
たんのうすることが、真の誠であり、どんな嫌なことも喜び、感謝で治めることが悪いんねんの納消、運命の切り替えになっていくわけです。
ですから、嫌なことを怒ったり嘆いたり恨んだりするのではなく、そんな目にあったおかげで自分がもしかしたら過去・前の世で撒いてきたものが、本当は大きな難になるところを、このぐらいの小さな難で免れた─
というふうに喜びで心を治めていくことです。
このようなものの考え方は、大変難しいように思われますが、
お互いに努力して身につけていきたいと思います。
お知らせ
天浦三座のお願いづとめ
大教会より、年祭活動の実践項目“身上おたすけ・人だすけ”のお打ち出しを受け、毎月3日、座りづとめ・十二下り(三交代)を一座として、 僅かな休憩を挟みながら、午前9時より三座のお願いづとめを真剣に勤めます。
それぞれがたすかって頂きたい方の願いの筋を用紙に書いて理立を添えて神前に供え、おつとめ着を着て、当てて頂いた役割を天浦分教会の上段で勤めさせて頂けるというまたとない機会です。(12月のみ 午前7時より、六座勤められます)
天浦 別席団参
毎月団参日を設定し、初席者・中席者を対象に マイクロバスで帰参致します。
おぢば・別席場を賑やかにすると共に、年祭活動が更に盛り上がっていくよう、“ぢばへ!ぢばへ!”と心を寄せて、日々のにをいがけ・おたすけに力を入れて参りましょう。
天浦 よふぼくおぢばがえり
昨年、一昨年の真柱様の秋季大祭におけるお言葉を受け、様々なきっかけで少し信仰から離れてしまっているよふぼくの掘り起こしを主眼に、年祭活動仕上げの年である本年は7回 (2・3・5・6・9・11・12月)既存のよふぼくの修理・丹精の場として“よふぼく おぢばがえり”が実施されます。
参加される方々には何よりもまず親里へ足を運んでもらい、ご存命の教祖にご挨拶申し上げ、天浦の会長様の親心でご用意して下さる詰所でのお話会や模擬店を楽しんで頂き、この度の年祭活動に心を向けて頂けるよう、真心を尽くし、導かせて頂く者の成人の場と致しましょう。
日程
2月16日(日)、3月16日(日) 5月25日(日)、6月29日(日) 9月28日(日)、11月24日(月) 12月14日(日)
スケジュール
11:00 本部神殿(西礼拝場)集合
12:30 カレー食+スイーツ
13:30 お話会
にをいがけ・おたすけの成果
別 席 者 | 7名 |
おさづけの理拝戴 | 3名 |
月間よろこびスケジュール
日 程 日 付 | 行 事 | 時 間 |
5月3日(土) | ◁ 天浦 三座のお願いつとめ ▷ | 9:00~ 11:00~ 13:00~ |
4日(日) | 天浦 霊祭 | 10:00 執行 |
6日(火) | 婦人の集い/女鳴物勉強会 | 10:00 神殿集合/午後から |
7日(水) | <西区布教> | 11:00八生瀧川布出発 |
10日(土) | 天浦月次祭前日ひのきしん | 13:00天浦神殿集合 |
11日(日) | 天浦 月次祭 | 9:30執行 |
12日(月) | 名田 月次祭 | 10:00執行 |
13日(火) | <中央区布教> | 9:30 神殿集合 兵庫9:00発 |
14日(水) | <兵庫布教> | 10:00 神殿集合 兵庫9:00発 |
15日(木) | 琴緒 月次祭 | 11:00執行 |
16日(金) | <松山布教> | 5:30兵庫発 |
17日 (土) | ◁ 天浦 別席団参 ▷ | 9:00 八生兵庫 出発 |
18日(日) | 八生兵庫 霊祭/女鳴物勉強会 | 10:00執行/12:45 |
20日(火) | <天浦分教会布教実習> | 10:30天浦神殿 集合 |
22日(木) | <垂水布教> | 9:30神殿集合 |
23日(金) | 兵神 月次祭 | <10:00執行> |
25日(日) | ◁ 天浦 ようぼくおぢばがえり ▷ | 9:00 八生兵庫 出発 |
26日(月) | 御本部月次祭 | <10:00執行> |
29日(木) | ◇第3回 にっこり女子会◇ | 14:00 八生兵庫2F集合 |
31日(土) | ようぼく一斉活動日(八生兵庫会場) | 13:00 受付 13:30 開始 |
6月 1日(日) | 八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん | |
2日(月) | 八生兵庫 月次祭/青の思案場 | 10:00執行/夕づとめ後 |