立教186年6月号 天理教八生兵庫分教会 よろこび月報

ご挨拶

心の温度を2℃上げよう  パッション・ミッション・モーション

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

年祭活動が始まって早や5か月が経ちましたが、年頭より諭達巡教員、修養科教養掛、布教所長を拝命してその役割を懸命に勤める者、また単独布教、布教の家入寮とステージを変えてにをいがけに励む者、また日常の動きを変えて理作りに勤しむ者など、それぞれの持ち場立場で心の成人に向かって懸命に年祭活動を務めさせて頂いております。

殊に当教会では、諭達第四号、また大教会より打ち出されている「教祖のひながたを手本に明るい心で通りきろう」との年祭活動方針に実をもってお応えし、着実に成人に繋げる為「喜ぶ、楽しむ、尊重する」を行動指針と定め、「①その日の終わりに喜びを表現すること②今までにできなかった事に挑戦すること③常に相手に勇んで貰う表現を心掛けること」を実践させて頂いております。

また、おさしづに

精神一つの理によって、一人万人に向かう。神は心に乗りて働く。心さえしっかりすれば神が自由自在に心に乗りて働く程に

おさしづ

とあるように、やはり年頭心定めの完遂にむけては、何といっても「熱量」が大切であるとの思いから「の温度を2℃上げよう」を提唱しパッション(情熱)・ミッション(使命)・モーション(行動)」を常に心に抱き、教祖の道具衆としての自覚を高め身上おたすけ人だすけに邁進させて頂き、そして間近に迫る7月の仕切り、4年ぶりに開催されるこどもおぢばがえりに向かって懸命に務めさせて頂きましょう。

今月も何卒よろしくお願い致します。

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者7名

「丹精と存命の理」

立教186年5月28日 一郎会長様 朝席のおはなし より

人財という宝

今は亡き野村(克也)監督は、監督となって功成り名を遂げても尚、「生涯一捕手」であると言明し、とにかく現役時代からゴルフなどの遊びを一切せず、野球一筋に徹しきり、野球を通しての人生訓を書いた「野村ノート」という本を出版されております。

私たちであれば「たすけ一条」そして「生涯一布教師」ですね。その野村監督の素晴らしい所は、名声や財産ではなく、人を残したということでした。

選手として野村監督より指導を受けた高津監督や稲葉監督などの人材が続々と指導者として活躍しています。自分だけが偉くなってその後継者が不在というのではいけません。

後継者を残す。

すなわち“人財”を残していく事が一番大事だということを野村監督から学ばせて頂きました。

丹精する喜び

私たちもお導きさせて頂いた方が、段々と育って、親の役に立ち、人だすけをしてる姿、これほどありがたく、嬉しいことはないですね。

それぞれが理の子を授けて貰い、その理の子が、親神様・教祖の大きなご恩に目覚め、そのご恩報じの心を持って頂けるように、丹精をさせて もらいたいものです。

私は木下寿美子先生に導いて頂いた理の子です。

その先生の御指導あればこそ、今の私がある。

このご恩に報いてさして頂きたいとの思いで、日々通らせて頂いております。

ですから、もし先生がここにおられたら、教会長として勇んでたすけ一条を通っている今の私の姿を見て…

「あの訳のわからんかった者が…なんとか会長をしている!」と、きっと喜んで下さると思います。

諦めたら終わり

一人の初席者を生み出すことは決して簡単ではありません。

ましてや一人の方をようぼくまで丹精し、その方に成人してもらうことは、並大抵な苦労ではありません。

もんかたないところから苦労して、初めて少しずつ少しずつ真実が出て くるものです。「もうこれはあかんな…」と思って諦めた時点で終わりです。私たちは、決して諦めては駄目です。

自分ではあかんと思っても、私たちには、辿るべき教祖のひながたがあり、教祖はご存命の理を以て踏ん張って下さいます

その思いをしっかり持って、しっかりとした足取りで通らせて頂けば、存命でお導き下さる教祖が、私たちの心の誠を見定めてどんなご守護でも必ず鮮やかにお見せ下さいます。

おやさま存命の理を信じて!

立教186年5月29日 西村 順子 奥様 朝席でのお話

赤ちゃんの信仰

私たちの親教会である天浦分教会はまもなく90年、琴緒分教会は100年、名田分教会は120年、兵神大教会においては140年という永い永い歳月を経て、苦労とたんのうの中、理と徳を積み重ねられ、現在の素晴らしい教会の姿があります。

私ども八生兵庫分教会は、設立して十数年というまだまだ生まれたばかりの教会です。

こうして教会に住み込んでいる皆さんも信仰初代の方がほとんどであり、まだまだ生まれたての 赤ちゃんのような信仰です。

赤ちゃんというのは、無心にお母さんを見つめ、信じ切っておっぱいを吸うもので、「もしかしたら、毒が入ってはいないか…」などと疑心暗鬼になることは決してありません。

何疑うことなくそのおっぱいを飲み込むことで、それが自らの血となり肉となり、立派に育っていくものです。

同じように私たちは、親からの声を無心に頂戴して、しっかりと親の御用をつとめきることで、魂に栄養を頂くことが出来ます。

親のお打ち出しに対してあぁだこぅだと文句をつけるようなことでは、自らの運命が瘦せこける結果を招き兼ねません

この道は「阿呆に手柄さす道」と聞かせて頂きます。

親の言って頂く声をアホのように丸ごと受け、陰で守っていく中に、私たち全人類のお母様である教祖から大きなご褒美を頂戴できると思わせて頂きます。

陰徳を積む

たん/\と をんかかさなり そのゆへハ きゆばとみへる みちがあるから

おふでさき第8号54

本日拝読したこのおふでさきを通して、私自身本来、恩の薄い親不孝ないんねんの者ですから、深く心せねばならないと感じております。

人にかけた迷惑や人からしてもらったことを小さく思い、自分が人にしたことは大きく評価し、自分に指摘されたことを恨み辛みとして受け取っていく云わば、ぎゅうばに近い魂のあり様です。

反対に、日々「陰徳」を積んでいる魂の方もおられます。

「陰徳」とは、人の見ていない陰で善いことを積み重ねることです。

例えば、「こうしておいたら、あの方が喜ぶかなぁ…こんな風に声をかけたら、元気になって下さるかなぁ…こうすれば、あの方の努力が浮かばれるだろうなぁ…」と「陰徳」を積んでいる方は、こういった目には見えない心遣いを日常の生活の中で積み重ねておられます。

末代という理

「虚しい中を歩きなさい。虚しい中にこそ理があるで。」

かつて木下寿美子先生はこう仰っておられました。

やって親から褒められ、やって人からお礼を言われ、周りから賞賛されそんな中には大したものは ありません。

しかし、やってもやっても親に認めて頂けず、おたすけ先からも批判され、罵倒され、悪口を言い歩かれ、そういった中をただご存命の教祖を信じて、ひながただけを頼りに通りきってこそ、末代の理が出来てくるのだと思わせて頂きます。

改めて、形も結果も出ない中を良しとして通らせて頂くことの値打ちをいま思わずにはおれません。 

三年千日 最初の仕切りへ

仕切りの御用の度に、高い心や我の心、恩知らずな心を削って頂くことができます。

「何とか尽くさせて頂きたい、ご恩を返したい」という一念に、ご存命の教祖が心に乗って働いて下さいます。

「これ以上どうしようもない…」と思った時には、真柱様ご夫妻をはじめ理の親々のお顔を思い浮かべさせて頂き、親の理とお力を頂戴して、これまでもどんな困難な中も突破させて頂くことができました。

どうか今日も一日低い心で通りきらせて頂きましょう。

月間よろこびスケジュール

日   程                           日  付行    事時   間
6月3日(土)    天浦 三座のおつとめ9:00~ 11:00~ 13:00~
  4日(日)天浦 霊祭10:00 執行
  6日(火)婦人の集い/女鳴物勉強会10:00 神殿集合/午後から
  7日(水)<西区布教>11:00八生瀧川布出発
10日(土)天浦月次祭 前日ひのきしん13:00天浦集合
11日(日)天浦 月次祭  9:30執行
12日(月)名田 月次祭 10:00執行
13日(火)<中央区布教>10:00 神殿集合 兵庫9:00発
15日(木)琴緒 月次祭11:00執行
16日(金)<松山布教>      5:30兵庫発
18日(日)八生兵庫 霊祭/女鳴物勉強会10:00執行/12:45
 〇 八生兵庫 子供会 〇12:00 教会集合
20日(火)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
21日(水)<北区布教>9:30神殿集合
22日(木)<垂水布教>9:30神殿集合
23日(金)兵神 月次祭   <10:00執行>
25日(日)<< 別席団参 ① >> 9:00 八生兵庫 出発
26日(月)御本部月次祭 <10:00執行>
27日(火)<西宮布教>9:30神殿集合
28日(水)<兵庫布教>10:00 神殿集合 兵庫9:00発
29日(木)<< 別席団参 ② >> 9:00 八生兵庫 出発
7月 1日(日)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん 
2日(月)八生兵庫 月次祭青の思案場10:00執行/夕づとめ後