身上・事情とは?
天理教では、教理でも日常的にも「身上(みじょう)・事情(じじょう)という言葉をよく使います。
身上の意味
天理教で使う「身上」という言葉には、主に二つの意味があります。
まず一つ目は、人間の身体のことを身上と言います。
この身上、「すなわり身体の健康があってこそ、人はいろいろなことをすることができるのです。
しかし、神様の思召しに添わない使い方をしている時は、この間違いを知らせるために、親神様は身上に病などを与えて、てびきをして下さるのです。
てびきこの病などのことも「身上」という言葉で表現されます。
なので、よく聞かれる日常会話としては、
「この身上を良い機会に心を切り替えていきます。」
「この身上は、神様からのお手引きだね。」
事情
また、親神様はてびきの方法として、病気の身上だけでなく、家庭の揉め事や災害、その他のいろいろな苦しみ、悩みなどを事情としえお与え下さいます。
おさしづに
”事情なければ心が定まらん”
”身上・事情は道の花”
おさしづ
と仰せられるように、身上・事情がなければ、自分自身の間違った心遣いを悟ることができません。
また、身上・事情のてびきを頂いて、初めてさんげすることができ、その節から喜びと幸福の花を咲かせることができるのであります。