月日にハせかいぢうゝハみなわが子
おふでさき
たすけたいとの心ばかりで 八 4
親神は、一れつの人間に、陽気ぐらしをさせたいとの親心から、教祖 をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かして、珍しいたす け一条の道を教えられた。
つとめてもほかの事とわをもうなよ
おふでさき
たすけたいのが一ちよばかりで 一六 65
この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、つとめ一条 である。
このよふをはじめかけたもをなぢ事
おふでさき
めづらし事をしてみせるでな 六 7
このよふをはじめてからにないつとめ
おふでさき
またはじめかけたしかをさめる 六 8
このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初 りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられ たつとめである。
即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気 な世界に立て替つてくる。
つとめでもどふゆうつとめするならば
おふでさき
かんろふだいのつとめいちゞよ 一〇 21
このつとめは、かんろだいをしんとして行う。
にんけんをはじめかけたるしよこふに
おふでさき
かんろふたいをすゑてをくぞや 一七 9
かんろだいとは、人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえ る台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、人間世界の本 元と、その窮りない発展とを意味する。
しんぢつのつとめの人ぢう十人の
おふでさき
心を神がうけとりたなら 六 18
それからハどのよな事もたん/\と
おふでさき
神のをもわくみなときゝかす 六 19
にち/\に神の心わせゑたとて
おふでさき
人ぢう十人そろいなけねば 六 20
このつとめは、又、かぐらづとめとも教えられ、親神の創造の理をか たどり、選ばれた十人のつとめ人衆が、夫々、面をつけ、歌に調子を合 せて、奏でる九つの鳴物の調べに心を揃え、親神の守護の理を手振にあ らわしてつとめる。
実に、かぐらづとめは、人間創造の元を慕うて、そ の喜びを今に復えし、親神の豊かな恵をたたえ、心を一つに合せて、そ の守護を祈念するつとめである。
みなそろてはやくつとめをするならバ
おふでさき
そばがいさめバ神もいさむる 一 11
つとめ人衆が、親神にもたれ、呼吸を合せてつとめる時、その心は、 自と溶け合うて陽気になり、親神の心と一つとなる。
この一手一つに勇 む心を受け取つて、親神もまた勇まれ、神人和楽の陽気がここに漲る。
またさきのよふきづとめをまちかねる
おふでさき
なんの事ならかぐらつとめや 四 29
かぐらづとめは、又、よふきづとめとも仰せられる。
まことに、よふきづとめは、親神の思召さながらの陽気をたたえて、その成就を祈願す るつとめである。
どのよふなたすけするのもみなつとめ
おふでさき
月日ゆうよにたしかするなら 七 83
しんぢつの心あるなら月日にも
おふでさき
しかとうけやいたすけするぞや 七 84
つとめ人衆が、思召通りに陽気につとめる時、親神は、その真心を受け取つて、自由自在の守護を現される。
このつとめせかいぢううのたすけみち
おふでさき
をしでもものをゆハす事なり 四 91
にち/\にはやくつとめをせきこめよ
おふでさき
いかなるなんもみなのがれるで 一〇 19
とのよふなむつかしくなるやまいでも
おふでさき
つとめ一ぢよてみなたすかるで 一〇 20
されば、よふきづとめは、又、たすけづとめとも教えられ、いかなる 願もかなえられるつとめである。
たすけでもあしきなをするまてやない
おふでさき
めづらしたすけをもているから 一七 52
このたすけどふゆう事にをもうかな
おふでさき
やますしなすによハりなきよに 一七 53
たすけづとめは、ただ、身上のさわりや、災難や、苦悩をたすけるつ とめであるばかりでなく、進んでは、病まず、死なず、弱らない、珍し い守護をなされるつとめである。
しんぢつの心しだいのこのたすけ
おふでさき
やますしなずによハりなきよふ 三 99
このたすけ百十五才ぢよみよと
おふでさき
さだめつけたい神の一ぢよ 三 100
そのゝちハやまずしなすによハらすに
おふでさき
心したいにいつまでもいよ 四 37
またさきハねんけんたちた事ならば
おふでさき
としをよるめハさらにないぞや 四 38
人々の心が澄みきつて、真実の心となつた暁には、たすけづとめによ つて、甘露を授けられる。
これを頂けば、人は、よく百十五歳の定命を保ち、なお、心次第によつては、いつまでも生きさせてやろうと教えられる。
このつとめなにの事やとをもている
おふでさき
せかいをさめてたすけばかりを 四 93
はや/\と心そろをてしいかりと
おふでさき
つとめするならせかいをさまる 一四 92
このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや 平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。
ここに、恵は遍く一れつに及び、人類は、ひとしく親神の子として、 兄弟姉妹であることに目覚め、互に立て合い扶け合うて、世界は、一つ 心の陽気ぐらしの世と立て替る。
親神は、更に又、いき・てをどりのさづけによつて、身上たすけの道 を教えられた。
このさきハなんほむつかしやまいても
おふでさき
いきとてをどりみなたすけるで 一二 50
どのよふなむつかしくなるやまいでも
おふでさき
これなをらんとゆうでないぞや 一二 51
即ち、さづけは、親神が一名一人の心の真実を見定めて、たすけ一条 のために渡される、こうのうの理である。
人々が、授かつたその日の心を生涯の理に治めて、陽気普請のよふぼくとなり、天の理を取り次がせて頂くところ、親神は、願う心の誠真実を受け取り、自由自在の守護を もつて、いかなる難病をもたすけられる。
さづけの理は、たすけ一条を 誓う一日の日の真心に授けられる、生涯末代の宝であつて、この理をう けて、親神のよふぼくの馳せ巡るところ、広い世界に不思議なたすけは 相ついで現れる。
まことに、つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によつて教えられた、たすけ一条の 道である。
これによつて、病の根は切れ、あしきは祓われて、世界は陽気によみがえる。
かくて、世界人類は、親神の篤き守護をたたえて、心ますます勇み、親神は、又、これを受けて、恵は、いよいよ深く、ここに、神人は共に 和楽して、陽気溢れる世界が、この地上に実現される。
あしきをはらうてたすけせきこむ
いちれつすましてかんろだい