親里・ぢば
ー 元の一点から四方に広がった
現在、親里と呼ばれる場所は、昔、大和国庄屋敷村(現奈良県天理市三島町)という1つの村に過ぎませんでした。
ところが天保9(1838)年陰暦10月26日から時が満ちて、激変することになるのです。
それは、「元の神・実の神」なる親神様が中山みき(教祖)に入り込み、その口を通して、この世に初めてあらわれ出られたからです。
そして、教祖から次々と教えが説かれ、人間の親は親神様であり、人間が互いにたすけあう陽気くらしを見て、共に楽しみたいという人間創造の目的がはっきりと示されました。
そして、創造の場所が「ぢば」であり、その周辺を「親里」と呼んでいます。
神殿・礼拝場
ー 四方から拝せる、どこにもない参り所
4つの礼拝場の真ん中に神殿があり、その中央に人間を宿しこまれた証拠として「かんろだい」が据えられています。
親神様のお鎮まりくださるところであり、信仰者の礼拝の目標でもあります。
「かんろだい」に向かって、24時間・無料で誰もが四方から拝できる珍しい開放的な参り所であります。
礼拝場の畳数は、東西南北を合わせると3000畳をゆうに超えます。
これだけ広い理由としては、朝夕のおつとめや天理教最高の儀式である「かぐらづとめ」がつとめられ、詰めかける数多くの参拝者を収容するためです。
「かぐらづとめ」は人間創造の有り様を、今に現わして行われ、陽気ぐらしの有り方をも学べるのです。
教祖殿
教祖中山みき様は、明治20年(1887)陰暦正月26日、50年のひながた(人間の生き方の手本)を残してお姿をかくされ、以降も存命同様の働きをしてくださっております。
したがって、3度のお食事の用意をし、お風呂を焚いて、時には天理教の刊行物も発行の度にお供えし、ご覧いただくなどして、お仕えしています。
真柱(天理教の統率者)が教祖の理を受けて「おさづけの理」も教祖伝でお渡し下さいます。
御用場
教祖の御用をするところというのが、御用場の主な意味です。
俗に安産の許しと言われる「おびや許し」や「お守り」、「御供」をお下げしていただく場所でもあり、おさづけの理拝戴や教会の各種事情運びの時には、集合場所として使われます。
朝夕のおつとめ後の「てをどりまなび」「お手直し」などの講習会なども行われます。
祖霊殿
天理教では、死を「出直し」と呼び、出直した人を祀り、その生活の徳をしのぶところが祖霊殿であります。
出直しのことを着物に例え、
「古い着物を脱いで、新しい着物に着替えるようなもの」
と教えられています。
あまたの故人が祀ってある所とは違い、親神様のこころを体して、人たすけに尽くした人々が祀ってあります。
回廊
神殿・教祖殿・祖霊殿を繋ぐのが、2階建ての回廊で、東西の回廊を合わせて1周800メートルあります。
回廊に行くと、木の床を乾拭きしている人の姿を見かけられるかと思います。
自らの心を磨くためや人の病気の平癒を祈っての自発的な行為です。
回廊は通路でもあり、修行・祈りの場でもあるのです。