だめの教えとは?
天理教では、よく「だめの教え」であると言います。
「だめ」という言葉は、囲碁から来た言葉で、「無駄目」とか「駄目をつめる」という使われ方をします。
ここから転じて、「最後」という意味で使われているのです。
天理教で言う「だめの教え」というのは、もちろん、ダメの教えではなく、「最後の教え」、「駄目押しの教え」という意味なのであります。
「最後」というのは、時間的な最後という意味だけでなく、空間的にも絶対という意味が含まれています。
親神様が無い人間、無い世界を創造され、旬々に応じて、智恵の仕込み、文字の仕込みなど、人間の成人をお促し下され、お育て下さいました。
智恵や文字は教えられましたが、それを生み、導いたのが親神様であるということは教えられていませんでした。
すなわち、最後の駄目押しの教えとは、親神様が無い人間無い世界をお創りになり、人間をお育て下されたことを人々に教え、人間を創った目的が「陽気ぐらし」であることを教えるということです。