「末代の理」や「理は末代」といいますが、
「おさしづ」に
どんな事ありても、こんな事ありても道といふ理は末代の理なれば、たのしみなくてはならん、道一代と思ふやたよりない、これから道一つ理たより定めてゐれば、難儀しよにもできやせん。不自由しようにもできやせん。あちらこちら心を治め、なんでも一つこの理おさめてくれ
(明治34・6・25)
と仰せ下されているように、親神様のお教え通りに、人のために尽くした理は、その時だけのものではなく、末代、永久のものであると教えて頂きます。
人生を一代限りと考えると、人間は焦りを感じ、人をたすけるという心よりも、わが身わが家のことだけがたすかる心を使かってしまうものです。
この教えでは、人生は一代限りではなく、何代も何代も生まれ変わり出変わりして、末代まで続く、「きりなしの道」とお教え下さいます。
たとえ小さなことであっても、欲を離れて、人のために尽くしきるということが大切であり、その心の理こそ、末代のものなのです。