どろみづ とは?
教祖は理解しやすいようにとの親心から、例えを用いて理をお説き下さいました。
まず人の心を「水」にたとえ、親神様の思召しに添う心を「清水」、添わない心を「どろみづ」とお教え下されました。
「みかぐらうた」に
みづのなかなるこのどろう はやくいだしてもらひたい (十下り目 3)
よくにきりないどろみづや こころすみきれごくらくや (十下り目 4)
とありますように、欲にとらわれた心は「どろみづ」のようなものであり、立派な家に住み、美しい着物を着て、おいしいものを食べるような生活をしてたとしても、心が安まらず、苦しい思いをすることになります。
しかし、親神様にもたれて、「どろみづ」を「清水」に変えるように、欲にとらわれず、明るく澄んだ心になれば、たとえ粗末な家に住み、粗末なものを着たり食べたりしていても、その人の心は常に安らぎ、極楽に生活と言えるのです。
原典おさしづに
泥水の間はどんな思案してもどうもならん (明治29・4・21)
と仰せ下さいます。
心が親神様の思召しに添わず、泥水のような心ならば、どんな思案をしてみても、よい思案というのはできないのであります。