天理教人名辞典 中山こかん なかやまこかん

中山こかん なかやまこかん

天保8年(1837)12月15日(陽暦天保9年1月10日)、中山善兵衛、みき(教祖)の五女(末子)として生まれる。

誕生の翌年10月26日が天理教の立教である。

立教以来、神意のままに、貧のどん底に落ちていく中山家にあって、幼少より、健康であることの有り難さと、いかなる苦難にも喜ぶことのできる心を養った。

嘉永6年(1853)、父親である善兵衛が出直し、その涙もかわく間もなく、教祖(おやさま)の命により当時17歳のこかんは、浪速(現在の大阪)へ「天理王命」の神名を伝えにいった。

天理教の「にをいがけ」の始まりである。

こかんは、教祖に代わって寄り来る信者に教えの理を取り次ぎ、人々より「若い神様」と慕われていた(さ31・8・26参照)。

親神は、「魂のいんねん」により、こかんをいつまでも「元のやしき」において「神一条」の任につかせようとした。

しかし、人々は神意を理解し得ず、こかんを一人の女性として結婚するように勧めた。

ことに、こかんの姉おはるが嫁いでいた梶本家からは、おはるが出直したため、後添えとしてこかんを迎えたいと望んでいた。

明治8年(1875)夏、病気となって理と情の板挟みのまま、ついに9月27日、39歳で出直した。

親神は、こかんを台として、神一条に徹すべきことの大切さを教えられたものといえる。