前川半七正信 まえがわはんしちまさのぶ
教祖(おやさま)中山みきの父。
大和国山辺郡三昧田村(現、天理市三昧田町)に生まれる。
領主から無足人に列せられて名字帯刀を許され、大庄屋もつとめる。
母は郡山の佐味の鬼車(名字か借名か屋号か判然とせず)から嫁してきている。
「私のお父さんはな、若い時からこうのうを積んでござったのや。もう18の年から村の庄屋役をしてござって、そののち50カ村の村々の目付大役をしてなか/\たんのうして、50カ村の村々を喜ばしてござったのやで。」
と教祖が折にふれて仰せられたと伝えられる(『復元』第29号、19頁参照)。
天保11年(1840)2月18日出直す。76歳。