- いつ頃から赤衣を召されたのか?
- なぜ赤衣を召されたのか?
- 赤衣を召された時は世間がどんな時期であったか?
- 赤衣にまつわる逸話篇
- 赤衣を召される目的とは?
- 天理教での赤色の意味とは?
教祖伝より
『稿本天理教教祖傳』の 122ページに、
更に、十二月二十六日(陰暦十一月十八日)、教祖は、初めて赤衣を召された。この赤衣の理については、
いまゝでハみすのうぢらにいたるから なによの事もみへてなけれど 六 61
このたびハあかいところいでたるから とのよな事もすぐにみゑるで 六 62
このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや 六 63と、お教え下された。神から月日へと文字をかえ、身に赤衣を召されて、自ら月日のやしろたるの理を闡明された。
これ、ひとえに、子供の成人を促される親心からである。
天理教教祖伝
と記されています。
赤衣召された経緯
それ以前の教祖は、黒い着物に白糸で三つ菊の紋付を着ておられますが、明治7年の12月から、下着から羽織り、下駄の鼻緒やお座りになる座布団まで、赤一色になされたのであります。
明治7年という年は、教祖が77 歳になられた年で、世間一般で言う喜寿になられます。
赤衣を召されたのは、喜寿のお祝いではなく、年末の12月23日に奈良県庁の社寺係からの呼び出しで、山村御殿(円照寺)に出向かれた直後の 26日より赤衣を召されるようになったのです。
赤衣を召された理由
教祖が赤衣を召された理由の一つは、「身に赤衣を召されて、自ら月日のやしろたるの理を闡明された」とあるように、中山みき様の身の内に「月日が籠もり居る」ということを、周囲の人々の目に見えるかたちで示されたのです。
つまり、
- 中山みき様が普通の人間とは違うことを目で見えるようになされたということ
- 御簾の内から外へ出てこられたということを示すこと
これは月日親神が表に現れてたすけを始められたことを象徴したという意味なのです。
赤衣を召された時期
前述のようにこの時期は、本教が国家権力による干渉・弾圧を受け始めた時期でもあります。
後の明治 19 年の最後のご苦労の時に、
警官が「老母に赤衣を着せるから人が集まって来るのである」と言いがかりをつけて、櫟本分署に拘引中の教祖に黒紋付きを差し入れた。
という史実があるように、赤衣を召されることは官憲を刺激する種にもなったのです。
しかし、教祖はその中でも敢えて真っ赤な着物をお召しになって通られたのであります。
逸話篇より
『稿本天理教教祖伝逸話篇』の中に、親に連れられておぢばがえりした5、6歳の子供が、赤衣を召されていた教祖にお目にかかって、当時たばこ屋の看板に描いていた姫達磨を思い出したものか「達磨はん、達磨はん」と言った、、、という話が載っています。
この逸話のように教祖は、まさにたばこ屋の看板の描いていた姫達磨ように、赤く目立つお姿で過ごされるようになったのであります。
天理教教祖伝逸話篇 全文(1話~200話まで)教祖の大きな親心
これまでに、国家権力に弾圧を受けた人や集団は、歴史上にも多くありました。
政治結社や宗教団体も、圧倒的な力を持つ権力側に反旗をひるがえす時には、権力側に自分たちの顔を見せないように誰もが表に出ずに陰に隠れようとします。
こういう人たちは、権力側より自分たちの方が正しいと主張している一方で、権力を怖れ、自分の命も惜しいことから、相手に自分を認識されるのは不都合だと感じています。
このことからも分かるように、教祖にとって、国家権力を嵩に自分を拘束しようとする人物や迫害してくる医者や神官・僧侶など、どんな敵対行為をしてくる人たちでも、「反対するのも可愛い我が子。」なのであります。
教祖は人間ではない
ですから、教祖は逃げ隠れするどころか、赤衣を召されて「自分はここにいますよ」と手を上げているようなものです。
赤衣を着ることが国家権力など周囲の反対勢力を刺激することを心配するより、「月日のやしろ」の立場を明らかににすることの重要性を示されたのです。
このような振舞いは、当時の社会環境においては命がけのことですが、生命を司るのは親神様であって人間ではないのです。
ですから、官憲に逆らったら抹殺されるなどと、教祖御自身が怖れられる必要は全く無かったのです。
世直しではなく世直り
換言すると、月日のやしろである教祖は、法律や権力を超越した存在であり、人間社会の決まりや常識に束縛されることはないということ、つまり、教祖は、親神様の思召以外の思惑・信条や決まりにも左右されないことを、赤衣を召して明らかにされたのであります。
それは、お道の世界だすけが、革命や選挙などで政治権力を握ったりして、社会の組織や体制を覆すという方法でな
されるのではなく、「親神への信仰によって、世界一れつの心が澄み切る」ことによって達成される世直しではなく、世直りによって陽気ぐらし世界を実現するのだということを示しておられるとも悟れるのであります。
まとめと赤色の意味
赤色の意味を辞書に求めれば、「火の燃える・混じりけが無い・中心にあって大切な・なにもないむきだしの」などの意味があるとされています。
そして、その赤い色の心は、梅谷四郎兵衞手記に、「大神の御告げに依りて赤き色の神の心に通う事を知れ」ともあるように、赤心=偽りのない心・まごころが、親神の心に通じると教えられているのです。
後年には、赤衣は教祖存命の理のシンボル、あるいはまた、講社の「めどう」という意味も持つようになりましたが、天理教が「世界究極の教え」たることを明らかにするために、教祖は赤衣を召されたのであります。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』57ページ「35.赤衣」
『稿本天理教教祖傳』の 122ページ
『稿本天理教教祖伝逸話篇』(197~198ページ)