梶本惣治郎 かじもとそうじろう
文政10年(1827)大和国添上郡轢本町で、父惣兵衛、母きみの二男として出生。
嘉永5年(1852)中山善兵衛、みきの三女はると結婚、子ども7人を挙げたが、そのうち三男眞之亮(新治郎)は、中山秀司の長女たまへに入婿、初代真柱となった。
櫟本にあって鍛冶屋の業によく励み、その晩年は中山家を側面より補佐しつつ、明治20年(1887)5月19日出直した。61歳
文政10年(1827)大和国添上郡轢本町で、父惣兵衛、母きみの二男として出生。
嘉永5年(1852)中山善兵衛、みきの三女はると結婚、子ども7人を挙げたが、そのうち三男眞之亮(新治郎)は、中山秀司の長女たまへに入婿、初代真柱となった。
櫟本にあって鍛冶屋の業によく励み、その晩年は中山家を側面より補佐しつつ、明治20年(1887)5月19日出直した。61歳