天理教人名辞典 梶本松治郎 かじもとまつじろう

梶本松治郎 かじもとまつじろう

安政4年(1857)、大和国添上郡轢本村で惣治郎、はるの次男として出生。

長じて父の鍛冶業を手伝い、菊地うのと結婚、宗太郎、みきゑ(天折)、国治郎(島村菊太郎へ養子)、みち(上田楢太郎妻)をあげた。

松治郎は初代真柱の実兄であり、教祖が身を隠される直前の相談に加わり、「三名の心しいかりと心合わせて返答せよ」(さ20・1・13)との「おさしづ」の3人の1人であった。

陰暦正月26日には、家事取締に当たっている。

本部の重立った者として、時には、初代真柱や本席に、随行として各地に派出している。

明治22年(1889)11月25日、前川菊太郎、梶本松治郎、永尾楢次郎の別席願いが取次より出されているが、お許しなく、24年5月29日に身上からおさづけの理をいただいている。

明治24年11月3日出直し。35歳。