稲葉正邦 いなばまさくに
神道本局管長、子爵。
稲葉正邦は天保5年(1834)5月26日、岩代国二本松藩主丹羽長富の二男として誕生。
後、山城国淀藩主稲葉正誼の養子となる。
幕末は老中などを勤め、維新後は淀藩知事に任じられたが、国学を学び神道界で活動した。
明治8年(1875)、神道各教会を統括するという性格を有する神道事務局を設立。
明治9年、神道が三部に分けられ、その第三都管長に就任。
明治19年、神道本局(現、神道大教)が設立されるとその初代管長に就任した。
明治31年7月、65歳で病没。
明治21年、天理教会認可の請願書の東京府出願に際し、正邦は添書を書いている。
明治27年頃、神道本局は困難な局面にあり、正邦は天理教に対して尽力を要請し、天理教もこれに応えた。
明治32年5月、神道本局の大祭で、稲葉正善2代管長がこの時のことを評価し、一派独立を勧め、そのための添書も喜んで書くことを約束した。
天理教はこれより独立運動を展開し、明治41年11月、神道本局から一派独立した。
なお、神道本局はいわゆる教派神道13派と呼称される教団の一つで、正式には神道と称したが、まざらわしいので、その本部名である神道本局を一般に用いている。